vol.13 原 宏江(金沢大学理工研究域)

原 宏江/1982年生まれ 北海道北広島市出身/金沢大学理工研究域 地球社会基盤学系 博士(工学)

豊かな水資源は人間が生活していく上で欠かせないものです。従来の下水処理方法では除去しきれない化学物質をどう取り除き、それをいかに再利用に持っていくか、金沢大学で下水再生の研究をしている原さんにお話をお聞きしました。

環境問題への興味とカナダでの貴重な経験

お生まれは北海道なんですね。どんな小中学時代を過ごしていたんですか?

札幌で生まれ、北広島で育ちました。小中学生のころは本を読んだり詩を書いたりするのが好きでした。学校の授業でも作文が一番好きだったので、今やっている研究とはまったく分野が違いますね(笑)。

幼いころの思い出として忘れられないのが、小中高時代にそれぞれ1回ずつカナダへ遊びに行ったことです。家族ぐるみで付き合いのあったカナダ人家族のところでホームステイさせてもらいました。クリスマスの時期には、教会のミサに連れて行ってもらったり、国民的スポーツであるアイスホッケーを見に行ったり。現地の大学にも遊びに連れて行ってもらいました。キャンパスの中にバーがあることには驚きました。

(カナダにてアイスホッケー観戦)

子ども時代の海外体験は貴重な思い出になりそうです。

はい。実はそのときに見たものが今の仕事にもつながっているんですよ。中学校時代に私が興味を持ち始めたのが環境問題です。カナダ人家族のお父さんは土木コンサル会社に勤めていて、私をガソリンスタンド跡地の汚染調査に一緒に連れて行ってくれたんです。地面を掘って土壌のサンプルを取り、容器につめて分析会社に持っていくという、その流れを見せてもらって、「ああ、こんな風に環境汚染の調査をするんだ」と知ることができました。今思えばすごく貴重な経験でした。

それはなかなかできない経験です。

そんなこともあって、高校卒業後の進路を決める際も、やはり環境問題に関する分野に一番心が惹かれました。人間社会と環境を両立させる観点で環境問題を学べるところはどこだろうと悩んでいたところ、父の知人である環境省勤務の女性の方が「あなたが学びたいのは環境工学という分野で、国内ならこの大学で学べるよ」とアドバイスをくれました。その中のひとつが北海道大学でした。しかも高校時代に物理を取ってなくても受けられるのは北大のみ。物理を履修していなかった私は「もうここしかない」と思い、北海道大学工学部社会工学系へ進学を決めました。

無事合格することができましたが、大学での物理の授業は最初とても苦労しました。やっぱり大学のレベルは難しいなぁと。早々に痛感させられました。

大学で「下水処理」という研究トピックに出会う

大学では勉強一色ですか?

いえ、3年生まではサークル活動にかなり力を入れていました。実は小学5年生からバイオリンを続けていたんです。優しい先生のもとで個人レッスンでゆるく続けていただけだったのですが、集団で演奏することにずっと憧れていて、大学では迷わずオーケストラに加入しました。

これがなかなか忙しくて(笑)。ファースト、セカンドに分かれたパート練習があり、弦楽器だけの練習があり、全体練習があり、もちろん個人練習も必要で、あのころはしょっちゅうバイオリンを弾いていました。普段の練習だけではなく、演奏会もあれば遠征もあります。道内の地方に赴いて演奏をすることもありました。文科系だけど体育会系のような雰囲気でしたね。北大は馬術部とオーケストラは留年が多いと言われていまして、学部生だけど6年目という先輩もいました(笑)。

(オーケストラ活動に夢中だった大学時代)

それはなかなか本格的ですね。でも理系ですと勉強や研究も大変だったと思います。

4年生になり、研究室に所属するようになって、ようやく本業の勉強と研究に本腰を入れるようになりました。ここで今の研究につながるトピックである「下水由来の医薬品の除去」に出会いました。

人々が薬を飲むと、薬品の一部が尿や便と一緒に排せつされて下水処理場に流れていきます。処理場では微生物を使って汚染物の分解をするのですが、現行の処理方法だと医薬品の場合はすべてを取り切れないため、河川に流れ出て行ってしまうものもあるんですね。環境中に流れ出たものが、生態系に影響を及ぼしたり、水を繰り返し利用する中で人間の健康に影響したりすることが懸念されています。

限られた水資源を有効に利用するために、下水の再利用が行われていますが、このためにはより高度な処理が必要になってきます。具体的には、通常の処理を行った水を、砂などを敷き詰めた層にくぐらせて不純物を砂の表面に吸着させ、目の小さな膜で濾して、さらに清澄な水を作っています。下水中の医薬品が通常の下水処理や高度処理によってどこまで取り除くことができるかを調べること最初にもらったテーマでした。

聞いているだけで相当な根気が必要そうな研究テーマです。これ4年生の1年間だけでは難しくないですか?

確かに地道なプロセスです(笑)。当時はサンプルを取りに頻繁に下水処理場に通う日々でした。

テーマに取り組んだのは1年間だけではなく、修士と合わせて3年間でした。大学や学科によりますが、私が所属していたところは修士に進む学生がほとんどで、大学4年生のときに3年間で取り組む研究テーマをもらうという感覚です。ですので、3年の間この研究に取り組む毎日でした。

環境コンサルで仕事に明け暮れた新卒時代

なるほど、理系学部は修士課程進学が多いですもんね。修士を取得した後は就職ですか?

博士課程まで進むことは考えていなかったので、就職活動を進めていくことにしました。国立大学のせいか、先生方は国家公務員試験を受けろと言ってくるんですね。言われるがまま、深く考えずに受けてみたんですが、2次試験で不合格。志望動機もさほど強くなかったので当然の結果だと思います。

内心は公務員よりも民間の環境コンサル会社を希望していたので、そんな私に研究室の当時の准教授が「いであ株式会社という企業が面白いよ」と教えてくれました。気象予報会社から始まった会社なので海の調査に強みがあり、研究開発にも非常に力を入れている会社です。大学のOB訪問をしたところ、自分のやりたいことにとても近かったので、縁あって入社することになりました。

ここで初めて北海道から離れるわけですね。

横浜で初めての一人暮らしです。最初は「都会って怖いところ」というイメージでびくびくしていたのですが、運よく治安のいいニュータウンにアパートを借りることができ、すぐに慣れることができました。会社から自転車で10分の場所です。ただ、会社とアパートが近いのも善し悪しで、終電を気にしなくていい分、好きなだけ仕事できてしまうんですね。今は働き方改革によって社内の勤務状況も変わったと思いますが、当時は毎日遅くまで仕事をしていました。残業はしても、やった分だけお給料ももらえたので、同期も私もみんな張り切って働いていた時代です。

仕事内容そのものはいかがでしたか?

環境アセスメント部門に配属されました。ここでは社内初の女性部長のもとで働くことができました。部門の中ではひとつのプロジェクトを数人のグループで進めるのですが、新人の私は中堅の先輩と部長が手掛けている信濃川のプロジェクトに入れてもらいました。信濃川河口には上流から流れてきた大量の土砂がたまるので、定期的に掘らないと港に船が入れなくなるんですね。しかし堀った土を沖に捨てると土砂が水中で舞ってしまう。周りの魚や植物にも何らかの影響が出る可能性があるというので、その調査を請け負うというものです。定期的に新潟に打ち合わせに行って、おいしいものを食べられたのもよい思い出です。

自分に足りないものを感じて再び大学へ戻り博士課程へ

女性が活躍している会社という感じがしますね!

実際に働いていた立場から見て、いであは女性が活躍している会社でした。女性社員の定着率も高いですし、一緒に入社した同期の女性も今はプロジェクトリーダーなどを任されていると聞いています。

私は3年半いであで働いていたのですが、2年目に地球環境戦略研究機関(IGES)に出向する機会を与えられました。ここで驚いたのが、環境政策のスペシャリストの存在です。水環境、廃棄物、温暖化対策等の分野で、優れた国内外の研究者がいることを知りました。海外政府の方にお会いしたり、専門性高く解析や提言をする職員の方を見たりするうちに、圧倒的に自分に足りないものを痛感させられました。

またIGESとは関係なく、仕事で海外事例を調査するためにアメリカ環境保護庁(EPA)の研究報告書を読んだとき、内容が非常に専門的かつアカデミックなことに驚いたんですね。誰が書いたのかと調べたところ、博士号をもった環境コンサルの方で、「私もこのレベルに行きたい」と考えるようになりました。

より高いレベルの方たちと接すると刺激を受けますよね。その後はやはり挑戦ですか?

博士課程に行くことを真剣に考え始めました。北大でお世話になった先生に相談したところ「博士課程を出ても研究者にならなくちゃいけないわけじゃない。なんのマイナスにもならないよ。やってみればいいじゃん」と気軽な感じで言われまして。じゃあやってみようかなと(笑)。そんな感じで進学を決めました。

実はこのころに結婚もしました。相手は研究室の先輩で、彼は博士号を取って中央大学で働き始めたばかり。結婚とほぼ同時に私が北海道大学の博士課程に進学することになったので、早々に遠距離婚です。博士号取得までの3年間を離れ離れで生活していましたが、お互いに忙しかったのであっという間でした。

孤独だった産後の2年間と新たにつかんだチャンス

別居婚はまだまだ珍しいですよね。で、北大で博士号を取得してその後のキャリアは?

夫のいる中央大学で勤務をすることになりました。そしてこのときに1人目の子どもを妊娠出産しました。出産前から産後2年くらいは外で働けないので、在宅で仕事をしていました。知り合いの方から個人的に仕事を受けるという形です。環境調査資料をもらって、データを解析したり、報告書を取りまとめたり、という仕事を、育児の合間にしていました。

こんなふうに話をすると、まるで仕事に育児に充実した時間に聞こえるかもしれませんが、実際はとても孤独でした。忙しい夫と、初めての育児。組織から離れて、〇〇ちゃんのお母さんという肩書でしか社会と関われない自分。そのころ住んでいた自宅は埼玉なのですが、子どもを預けて職場復帰したくても、保育園に空きがなくて入れないんです。一時保育でさえ抽選です。子どもを持ちながら働くことの限界を、すでに感じていました。

関東圏では子どもを預けるハードルがそこまで高いとは驚きです。

おそらく今も状況はそれほど変わっていないと思います。そんなときに金沢大学がテニュアトラック教員を公募していることを知りました。試験期間を経て、5年後の審査に通ればその後も継続して働くことができます。同じ研究分野にいる夫からも「チャレンジしてみたら?」と言ってもらえました。こういう研究の分野はなかなかポジションの空きが出ず、競争率が非常に高いのが特徴です。自分の分野の募集が出たら積極的につかみにいかないと、すぐになくなってしまいます。

それまでの私は、家族と一緒に住むことを最優先にして、キャリアを後回しにしてきました。
でも、たまたま運良くポジションの空きを見つけることができた。そこで夫婦で話し合い、夫はそのまま関東で仕事をして、私は子どもを連れて金沢に来ることに決めました。その後2番目の子どもも生まれて、今は金沢で2人の育児をしながら大学で仕事をしています。

※テニュアトラック:若手研究者が任期付の雇用形態で研究者として経験を積み、最終審査で専任教員となることができる仕組み

子ども2人を育てながらに新天地金沢で暮らす

子連れでの別居婚。しかも新しい場所で。すごい決断だと思います!大変ですよね?

いやいや、想像されているより大変じゃないですよ(笑)。金沢は希望をすれば保育園に必ず入れてもらえるので、これは本当に大きいです。あと仕事は自分の裁量で時間をコントロールできますし、上司も私の家庭状況を理解してくれています。子どもがらみのことで、早くあがらせてもらったり、あるいは遅刻してしまったりというケースにも対応してもらっています。時間の裁量があり、職場の理解が高い。この2つの点は非常にありがたいですね。

ただ、どうしても仕事を優先しなければいけないときもあり、何度も親にヘルプを出して、北海道から飛行機で来てもらいました。東京に住む妹家族も含め、親戚を総動員している感があります(苦笑)。あとベビーシッターさんのサービスも利用しています。利用できるものは利用します(笑)。

かっこいいです(笑)。今現在は具体的にどのような研究をしているのですか?

かつての研究テーマの延長ですね。下水が環境中に流れていったとき、その先でまた人間が水を利用することがあります。水を繰り返し使っていく中で、人体に悪い影響が出ないか、出そうなものがあればちゃんと管理する仕組みを作ろうという研究です。実際のところ、低濃度で長期間取り込んだ時に起こりうる悪影響を調べることはとても難しいです。私の研究グループでは、ヒト細胞を使った毒性試験やたくさんの水質分析データを用いて、下水やその処理水の有害性を調べています。

自分の仕事にあてられる時間というのは決まっているので、限られた時間の中でより質を上げていきながら、研究成果を増やしていきたいですね。

(金沢大学の女性研究者を紹介するポスターに取り上げてもらいました)

将来を担っていく若者の成長に関われる喜び

今のお仕事をしていて嬉しいことってなんでしょう?

これからの将来を担う若者の成長に多少なりとも関われることです。各教員のもとには、毎年4年生が2〜3人配属されるんですが、今年は3人の学生が来てくれています。研究テーマに沿って、実験データを取ったり、資料を作ったり、プレゼンしたり。直接やりとりすることも多いので、その関わりをできるだけ大事にしたいと感じますね。

今やっていることが直接彼らの仕事につながるわけではないかもしれないけれど、社会に出て行ってときに、この経験が何かの力になればいいなと思っています。

学生の成長は励みになりますね。では逆に今まで経験してきた中で大変だったことは?

それは今年の新型コロナの影響による自粛ですね。こども園に登園できない中、仕事の制約もたくさんあり、子どもたちの面倒を見ながら日々を過ごすのはなかなか大変でした。まだ5歳と1歳で、生活リズムも違う上に、なかなか言うことを聞いてくれないときもあり(笑)。でも子どもを育てながら仕事をしているみなさんは、きっと同じ状況だったと思います。

そんな毎日でしたが、研究で現場に行く必要もありますし、実験環境を維持するため必要最小限のことはやらなくてはなりません。自粛がいつまで続くのか分からない状況の中、なんとかやりくりしていました。

地道に、腐らずに、目標の方向へ歩き続けること

小さいお子さんがいる家庭はみな本当に大変だったと思います。さて、今後のキャリアプランについてはどのように考えていますか?

今年が私にとってテニュアトラック制度の3年目でして、何より2年後の審査をパスすることが最大の目標です。なんとしてでも無事試験に受かって、金沢の地で研究活動を続けたいので。金沢は保育園制度がしっかりしていて、車で10分も走れば大きな公園にも行ける。子どもを育てるには最高の環境です。ずっとここで働きたいと思っています。だからこそ頑張らなくては(笑)。

原さんのような女性が金沢にとっても必要です。ぜひ頑張って下さい!最後に若い世代へのメッセージをお願いします。

女性の場合、ロールモデルが身近にいないということがよくあると思うんです。一方で、一般的な「よい母親」や「理想的な研究者」、あるいは「タフなワーキングママ」の姿を自分を当てはめようとすると、立ち行かなくなりますよね。理想像に振り回されずに、自分ができることを地道にやっていく、細々とでも途切れさせないというのが、結婚・出産などで環境に制約や変化の多い女性にとって大事なことなのではないかと。

あと子供もキャリアも、運やめぐり合わせで左右される部分が多分にあることを痛感しています。運よく欲しいものを願ったタイミングに手にする人や時期もあれば、そうはならない人や時期もある。思うような結果が得られなくても、腐らない。細々とでも目標の方向に歩き続けることでしか道は開けないんだ、と。誰よりも、すっかり気が腐っていた4年前の私に言ってあげたいです(笑)。

■一日のスケジュール

6:30 起床→身支度、朝食の準備、保育園の準備、洗濯物を畳む
8:00までに子どもたちが起床→着替え・食事の補助、自分も食事
8:30 家を出る
9:00 子供たち登園
9:20 出勤
17:50 退勤
18:00 子供たち降園
18:15 帰宅→夕食の準備
18:30 夕食
19:00 団欒の時間
20:00 子どもたちとお風呂、洗濯機回す
21:00 歯磨きをしてお布団に移動、絵本を読んで寝かしつけ(1時間はかかる)
23:00 洗濯物を干す、食事の洗い物、部屋の片付け
25:00 就寝
(寝かしつけで寝落ちしてしまった時や、持ち帰りの仕事がある時は2〜3時から再稼働することも度々あり)

My History

1982年 北海道札幌市に生まれる(北広島市で育つ)
2000年 大学入学
2007年 環境コンサルタント会社入社
2010年 退社、博士課程進学、結婚
2013年 博士課程修了、夫の研究室の立ち上げを手伝う
2015年 第一子出産
在宅で細々と仕事を継続
2018年 金沢大学(女性限定公募)に採用され、娘と二人で金沢に移住
2019年 第二子出産、産後2ヶ月で復職
2020年 現在

2020年11月取材
インタビュアー 長谷川由香(子育て向上委員会)