vol.4 石野正子(株式会社アトリエほんだしょうこ)

石野正子/1974年生まれ 金沢市出身 子ども2人/株式会社アトリエほんだしょうこ 代表取締役

3DCG(3次元コンピューターグラフィックス)と聞いても、ピンと来ない人は多いのではないでしょうか。でも実際は生活の中で、多くの人が3DCGに接しています。ゲームで、テレビで、スマホアプリで、3DCGは至るところで広く利用されていて、ニーズはますます高まっています。今回は金沢市内で3DCGを中心とした映像制作会社を経営している石野正子さんにお話を伺いました。

とにかく絵を描くことが好き

3DCGと聞くと、なかなか手を出せない非常に専門性の高い分野に感じます。どのようにしてそこにたどり着いたのか、さかのぼって教えてください。

まず、幼いころから絵を描くのが何より大好きでした。お絵かきをしていれば機嫌よく過ごせる子どもだったので、時間があればいつも机に向かって絵を描いていました。お絵かき好きが高じて、高校受験で選んだのは金沢辰巳丘高校の芸術コースです。高校では特に水彩画に力を入れて作品を作りました。

高校卒業後の進路もやはり芸術関係です。金沢美術工芸大学の美術工芸学部美術科に進学して日本画を専攻しました。祖母の兄が東京藝術大学で蒔絵の先生をしていたので、その影響もあるかもしれません。

幼少期から大学時代まで本当に絵を描くことが大好きだったんですね。

大学時代は遊びもせずバイトもせず、4年間をすべて絵に捧げましたね。常に大学にいましたから(笑)。でもそうやって絵に打ち込んだおかげで、大学時代に美術の基礎を自分の中で作り上げることができました。デッサン力が身につき、空間把握能力が習得できました。絵を描くスキルが上がったと同時に、色を見分けるスキルも体得しました。「絶対色感」と言われる絶対音感の色バージョンみたいなものがあるのですが、色を見分ける力には自信を持っています。「この色を作ってほしい」と言われれば、どんな色でも再現できるほど。

そういうものって持って生まれた才能でしょうかね。

一般的に女性は色を見るのに長けているんです。絵画を通して小さい子どもたちと接する機会がありますが、色彩認知力は女の子の方が高いです。お絵かきをしていても、パステルカラーなどを上手に使います。それに対して、男の子は女の子ほど色が見えていない。だから色彩設計が得意なのは女性なんですよ。

へぇー、面白い。それにしても学生時代のすべてを絵に捧げて、どんな道に進みたいと考えていたんですか?

大学時代、あまりにも絵に集中していたので、先生からは大学院への進学を進められました。でも芸術という分野で絵を描くという行為は、ひたすら自分と向き合うことが必要とされるんですよね。どこまで行っても自分との対話で、極端な話、自分のためだけに絵を描くということになります。私は大学を終えた段階で、「これからは誰かのために絵を描きたい」と感じるようになりました。「自分の作品で誰かの役に立ちたい」という思いで、商業芸術の道に進むことにしました。

金沢美術工芸大学での卒業作品

アルバイトとして入った会社で3DCGに出会う

絵を描ける、作品を作り出せる、というスキルを持って社会に踏み出したわけですね。

金沢のホクショーというベルトコンベア会社にアルバイトとして雇われることになりました。当時その会社には、ゲーム部門があり、パソコンゲームの開発を進めていました。

「3DCGを覚えてほしい」と渡されたのが新しい機材と初めて見るCGソフトです。それまで3DCGなんて、知識も経験もなかったのですが、もともとゲームが好きだったこともあり、ソフトの入門書を3日くらいで一気に読み終えてしまいました。「こんな面白いことができるんだ!」と楽しくて仕方なかったです。

3DCGってすごく難しそうなイメージがあるので、独学で学ぶなんて敬服します。

「絵を描くことが好きで、ゲームが好き」という自分の特性にマッチしたんでしょうね。会社は私のことを新しい分野を切り開く開拓者のように扱ってくれて、褒めて育ててくれたので、「CGって楽しい!」と新しい技術をどんどん習得していくことができました。

ただ残念ながらゲーム部門の収益がうまく上がらずに、しばらくして部署は解散することになったんです。金沢で3DCGをビジネスにするには早すぎたというか、まだ需要が追いついていなかったのかもしれません。

ホームページ運営がCG雑誌での連載につながった

会社は辞めざるを得なくなったと。

はい。仕方がないので、フリーランスで3DCGの仕事を続けていくことにしました。50万もする高額な3Dソフトでしたが、自分で購入して、自宅で制作を始めました。90年代の終わりごろです。インターネットが少しずつ一般家庭に普及し始めていて、そのころに3DCGを紹介するホームページを立ち上げました。掲示板を設置していろんな人と交流したり、質問に答えたり、3Dの顔の作り方をレクチャーしたりしていました。

そんなふうに自分のホームページの運営をしていたら、月刊CGワールドという雑誌から「記事を書いてほしい」というオファーが来て、誌面でコーナーを持って連載することになったんです。

雑誌連載がきっかけで、その後4冊の著書を執筆しました

すごいじゃないですか!

ありがとうございます。同時に、そのころ金沢の制作会社からオファーがありまして、「新たに3D制作部門を作るので来てほしい」と言われたんです。生まれて初めて正社員になりました。25歳のときです。

アルバイト、フリーランス、と来て、今度は正社員ですね。

「安定した正社員の職」という希望を持って入社したのですが、半年しかもたなかったんですよ(笑)。かつてのバイト先の会社と同様、当時は3Dが出始めたばかりで、3Dに関わる仕事がたくさんあるわけではない。でも正社員ですから、仕事がなくても毎日出社しなければいけない。8時間椅子に座って、仕事をしているふりをしなくてはいけない。

「せっかくの正社員職だから」と、しばらくは自分なりに頑張ってみたんですが、どうしても合わなくて、CGの需要が湧き上がっている東京に憧れもあり、退社を決めました。

仕事を求め、身ひとつで東京へ

退社後は再度フリーランスに復帰されたんでしょうか?

金沢には仕事もないし情報もなかったので、思い切って東京に行くことにしたんです。どこの会社に勤めるなどの当てはなく、フリーランスとして身ひとつで上京です。

行動力ありすぎです(笑)。つては何かあったんですか?

金沢にいる間に東京から仕事をいただいていたので、コネクションはありました。前述の月刊CGワールドでの執筆経験も役に立ちましたし、3Dソフトを使える人が少ないことから重宝していただけました。

業務内容としては、ゲーム会社や映画会社の孫請けです。ゲーム会社の専属モデラーとして、さまざまなマルチメディアコンテンツに向けたものを制作しました。伊坂幸太郎さん原作の「ゴールデンスランバー」という映画でラジコンヘリが出てくるのですが、そのモデリングも担当しました。

当時の作品。著書のうちの1冊です。

仕事場を金沢から東京に移して、プライベート面も大きく変化したと思います。

東京には仕事も情報もたくさんあったので、働いている分には非常に快適でした。プライベートでの大きな変化は、結婚をしたことです。相手は同業者の方。初めての妊婦生活を東京で迎えました。

東京で子どもを産み育てるのはいかがでしたか?

実は、妊娠7ヶ月の頃、夜中にお腹が痛くなって、救急車を呼んだ経験があります。救急車はすぐに来てくれたのですが、妊婦の夜間救急を受け入れてくれる病院が見つからない。救急車は私を乗せて自宅の前で止ったままです。救急隊員さんは横浜や埼玉、茨城の病院まで電話をかけてくれていました。救急隊員さんに車内でお腹をさすってもらうこと3時間。幸い痛みが治まったのでお礼を言って自宅へ戻りましたが、この経験から都会では子どもを産み育てたくないと感じるようになりました。

里帰り出産に合わせて、生活のベースを金沢に戻すことに決め、約4年間の東京生活にピリオドを打ちました。こちらに戻ってきてからは金沢が大好きです。

金沢に戻ってからの怒涛の日々

金沢に戻ってお仕事再開ですね。

東京時代に夫とCG制作会社を立ち上げていたので、金沢に戻ってからもその業務を継続しました。彼が営業や経理関係を担当し、私は制作をするという形です。夫が取ってくる仕事を、指示のままに一生懸命こなしました。早く業務を軌道に乗せて、利益の上がる会社にしたいと必死でした。

でも、毎日懸命に働いているのに、会社にお金が残らない。私のお給料も出ていません。

仕事をしていく上で大切にしたいと思うものが、夫と私とでは大きく異なっていました。同時に、家庭生活を営む夫婦としても、分かり合えない部分があまりにも多すぎました。金沢に戻ってからもう1人子どもができて、2児の親になったこともあり、改善に向けて精一杯の努力はしていたんですけどね。

とにかく、仕事においても家庭においても、毎日がトラブルの連続。「トラブルの処理ばかり繰り返していても先がない、何か新しい道を見つけなければと、36歳のときに自分で会社を作りました。これで仕事はすべて私が直接受け、報酬もいただくことができるようになりました。さらに離婚に向けての準備を始めました。調停委員さんは、当初和解する方向に持っていこうとしていたのですが、事実をすべて話し、証拠を提出したところ「これ以上我慢しなくていい」と一緒に泣いてくれました。無事に離婚ができて、よほどスッキリしたのか、周りの人たちには「10歳若返ったよ!」と言われました(笑)。

すべての出来事は、必要な通過点だった

激動の人生ですね。そのころお子さんは小さかったと思うのですが、子育て関係は大丈夫でしたか?

離婚したのは、上の子が5歳。下の子が2歳のときです。両親が隣に住んでいたので、ありがたいことに日々の子育てをサポートしてもらうことができました。10年間、仕事面と生活面で常にトラブルに巻き込まれていたので、嘘のように晴れやかな毎日となりました。やっと地に足がつき、自分の足で前に進める環境になりました。

その後シングルマザーとして2人の子どもを育ててきましたが、子育てをつらいと思ったことは一度もありません。子どもというよりもひとりの人間として、彼らの人格に向き合っています。いまや2人とも信頼できるパートナーですね。

子どもが通う大徳中学に飾っていただいている日展入選作品

いろいろな経験をされてきて、今実感としていかがですか。

もし幸せな結婚をしていたら、どこかで仕事をやめていたような気がします。一方で、もし子どもを産まずに仕事をしていたら、「子どもがほしかった」とずっと考えていたかもしれません。仕事を続け、子ども2人を授かったことで、今の自分があります。すべての出来事は必要な通過点だったんだなと本心から思えます。

今の私はほしいものをすべて手にいれているんですよ。大好きな仕事があって、大切な子どもたちがいる。信頼できる友人たちにも恵まれています。不満なんてどこにもありません(笑)。

3DCGの分野ではますますご活躍が期待できそうですね。

CGやイラスト、映像など、いろいろなデザイン制作をする際、お客さまは漠然としたイメージやインスピレーションを伝えてくるんです。それを具現化して、喜んでもらえるのが何よりの幸せです。仕事をしていて大変だと感じたことがないので、天職だと思っています。仕事にゴールはないので、常に「今が一番」の状態ですね。

夢は新しいコンテンツを生み出し、海外に飛躍すること。楽しい人たちと繋がって、自分も周りも豊かに幸せになっていけたらいいですね。最近事務所を新しい場所に構えたので、気持ちも新たに面白いことに取り組んでいきたいです。

音楽をクリエイトするotokotoLLCと共同で事業運営しています

人と同じことをせず、変人になれ

プライベートはどのように過ごしていますか。

ギターを始めたのでその練習をしたり、近場をドライブなどしたり。春には子どもと3人で初めて沖縄に行ってきました。学校はこの間どっぷりお休みして(笑)。周りの人たちには「仕事への刺激にもなるから、東南アジアあたりで海外の熱い風を感じてこい」と言われているので、2月にベトナムのハノイへ旅行に行ってきます!

うらやましい!ボランティア的な活動もされているとのことですが。

小学生向けの絵画教室の先生をしている延長線上で、地域のみなさんに喜んでもらえるなら、と21世紀美術館のすくすくステーションで月に数回、工作やアートを教える活動をしています。21世紀美術館でしか会うことのない育児中のママや外国観光客の価値観に触れることに価値を感じますし、なにより幼い子どもたちには癒されますね(笑)。

最後に、若い女性たちへのメッセージをお願いします。

学校に行かなくちゃいけないとか、結婚しなくちゃいけないとか、従来からの固定観念に振り回されないでください。古い大人が作ったルールは絶対ではないし、20年後30年後の世の中がどうなっているかなんて、誰にも分からないですから。

大学に行かなくちゃいけない、就職は大企業じゃないといけない、子どもはこう育てないといけないなど、先人たちはいろいろ言うだろうけど、そんなことはありません。

ぜひ、人と同じことをするのをよしとせずに変人になってください。変な人と思われるくらいに(笑)。人と違う個性があるって大事なことです。個性的な変な人のまま、まっすぐ育って、自由に自分らしくいれること、それが一番です!

1日のスケジュール

6:30 起床
7:30 子供の送り出し
9:00~12:00 出社
18:00~19:00 帰宅
23:00~24:00 就寝

その日によってスケジュールは変わります。制作は1日4~5時間ほど集中し、後はPCが処理してくれるため私の実働時間は少なめです。CG動画を作るのに計算するPCは休みなく稼動しています。

My History

22歳 金沢美術工芸大学日本画卒業
23歳 ホクショー株式会社 ゲーム開発部門 バイト勤務
24歳 ゲーム開発部門閉鎖にともないフリーランスに
25歳 アビックスタジオ金沢へ入社
26歳 フリーランスとなり上京
29歳 結婚
30歳 金沢へUターンし第1子出産
33歳 第2子出産
36歳 株式会社アトリエほんだしょうこ設立
37歳 離婚
42歳 otokotoLLCシェアオフィスへ移動
44歳 otokotoLLCと共同で事業展開中

2018年11月取材
インタビュアー 長谷川由香(子育て向上委員会)