vol.10 川森真弓(株式会社日本海コンサルタント)

川森真弓/1990年生まれ 金沢市出身/株式会社日本海コンサルタント 技術事業本部 構造設計部

通勤や通学、買い物などで利用する道路や橋。誰もが当たり前のように使っている公共インフラですが、構造物の設計や整備、維持管理など、多くの技術力によって支えられています。そんな公共設備を取り扱う建設コンサルタントで、主に土木や地質の業務に関わっている川森さんにお話をお聞きしました。

ツンツンのショートカットでボールを追いかける日々

金沢生まれの金沢育ちだそうですね。どんな小中学校生活を送ってきましたか?

小学生のころは、水泳、習字、英会話、ピアノなど、いろいろな習い事をしていました。特に力を入れていたのが4歳から習っていたピアノです。発表会やコンクールなどにも出て、小学生ながら一生懸命練習しました。

中学ではどうしても運動がしたくて、ソフトボール部に入りました。そしたらピアノの先生に怒られまして(笑)。ソフトボールは突き指をしてしまうスポーツなので、ピアノとの両立が難しいと。どちらを取るのか迫られて、ソフトボールを取りました。

ソフトボール部でのポジションはキャッチャーです。当時、部員は髪の毛を短くするという暗黙のルールがありまして、私も5センチくらいに切りそろえて、ツンツンのショートにしていました。長い子でもベリーショートでしたね。

ツンツンのショート!今の雰囲気からはまったく想像がつかないです。

髪の毛は短いし、連日の屋外練習で肌も真っ黒。着る服もジャージ。なので、デパートで女子トイレに入ると、「え?」という視線を感じることがありました。でも強くなりたい一心で部活に打ち込んでいたので、見た目はまったく気になりませんでした。

先輩たちが引退した後、私がキャプテンになりました。3年最後の春季大会では、金沢市の大会で勝ち上がり、県大会に駒を進めることができました。ところが、県大会を1週間前に控えた練習試合で、じん帯を切ってしまったんです。キャプテンとして部活生活の集大成になるはずだった最後の県大会に出られない。私のソフトボール人生はあっけなく終わりました。

その後の気持ちの持っていき場はありましたか?

3年生ですし、受験もあるので、とりあえず勉強を始めました。でも、周りが推薦で進学先を決めていったり、近くの私立高校の面倒見がいいということを耳に挟んだりしているうちに、公立高校受験に向けての気持ちの糸が切れちゃいまして。結局、公立高校は受験せずに、私立高校に進学しました。

高校でもソフトボール継続ですか?

ケガのせいで思うように身体が動かなかったので、高校では続けませんでした。特進クラスに入ったこともあり、少し勉強をがんばろうかなと。

中学は部活一色でしたが、高校では普通の高校生としての時間も存分に楽しみました。友達とカラオケに行ったり、彼氏とお出かけしたり、近所の焼肉屋さんで少しだけバイトをしたり。高校生らしい高校生活でした(笑)。そうこうしているうちに3年生になり、また進路を考えなくてはいけない時期が来るんですよね。

どんなふうに進路を選んだのでしょう?

高校では数学や物理が得意でした。国語の物語を読むより、数式を見て考える方が楽しかった。なので、理系に進もうと。

私が高校生のころは就職氷河期で、いずれ職に就くなら公務員がいいと親からすすめられました。理系で公務員を狙うなら土木関係だなという結論に達し、金沢大学理工学域環境デザイン学類に照準を合わせました。以前は土木建設工学科と呼ばれていたところですが、土木という名前は人気がないので、環境デザインというおしゃれな名前にしたみたいです(笑)。

高校受験を完全にさぼった分、大学受験のときは必死で勉強しました。浪人は選択肢になかったので、土木とは畑違いの看護の専門学校を滑り止めに受けておきました。幸い大学に合格することができましたが、もし土木への進学が叶わなかったら、今ごろ看護師になっていたはずです(笑)。

インカレサークルの活動に没頭し、飛び込み営業も

確かにまったく違う人生かも(笑)。さて、大学での生活がスタートですね。

大学時代は、勉強やバイトもしましたが、もっとも力を入れたのは学生団体での活動です。
「金沢に衝撃と感動を」をコンセプトに、金沢大学だけではなく、県内のあらゆる大学、短大、専門学校、高専の学生たちが集まって、学生の力で金沢を盛り上げていこう!と活動していた『創ル部』というインカレサークルです。企業と組んでイベントを企画したり、百万石まつりに参加したり、とにかく積極的に動いていました。

中でもメインイベントが中央公園で開催した合同学園祭です。企画、広報、協賛企業募集の営業活動、運営、すべてを現役の学生だけで行っていたのですが、イベントにはお金が付きものです。そこで、市内の企業に飛び込み営業をして協賛を募りました。「応援するぞ」と協賛してくれる方もいれば、「世の中はそんなに甘くない」と断られることもあります。社会というものを実践から学びました。

インカレサークルで苦楽を共にした仲間たちと

飛び込み営業とか、すでに学生の範囲を超えてませんか(笑)?

2年生のときに副代表をしていたこともあり、上級生に認めてもらいたくてがむしゃらに頑張りましたね。当時80人ほどの学生が所属していたのですが、熱い思いがある人ない人、いろんな人がいるので、とにかく態度で示すしかありませんでした。

作業をする場所も必要だったので、みんなで少しずつお金を出し合って、打ち合わせ用のアパートも借りました。忙しい時期は、朝方まで作業をして、仮眠を取って大学に行ったり(笑)。苦楽を共にした仲間は今でも仲が良くて、連絡を取り合っています。

学生団体の活動にフルコミットで、大学の勉強は大丈夫でしたか?

大学生活の大半はサークル活動に明け暮れていましたが、4年生になり、さすがにまずいと思い、研究室に入りました。

一言に『土木』の研究室といっても、構造物の力学解析や土木建設材料の開発、環境・防災問題、交通計画、都市景観や土地利用の研究などさまざまな分野があります。その中でも特に華やかなのが都市計画系。でも華やかなところは人気も高くて(笑)。

そこで視点を変えて苦手な分野を克服しようと考えました。私は構造や地盤に関することが苦手だったので、それを克服すべく選んだのが「地盤工学研究室」です。いかにも楽しくなさそう名前ですよね(笑)。

研究室では、砂地盤における模型杭基礎の繰返し水平載荷実験をおこなっていました。地震が起こったときに、杭基礎形式の違いによって地中がどういう挙動を示すのか、などの研究です。ひたすら容器に土を入れて、揺らしてみて、計測して、という地道なものです。

「女子は採用しない」と何度も言われた就職活動

研究の先にはいよいよ就職が控えてますよね。

高校卒業の時点では公務員になるために目指した土木分野でしたが、大学4年のころにはバリバリ仕事したいという願望が強くなり、民間企業に志望を変えました。理系文系問わずいろいろな企業の説明会に行ってみましたが、やはり土木方面に進むことにしました。

希望の就職先が金沢市内の土木関係の民間企業と定まったので、該当する会社をいくつもあたってみたのですが、返ってくるのは『お祈りメール』(不採用通知)ばかり。説明会の時点で「女子は採用しない」と言われたこともあります。面と向かって「女の子は結婚したら辞めちゃうでしょ。だったら男を取るよ」とも言われました。

地元での就職は非常に厳しくて、大学の土木分野で学んだ女子たちは、公務員になるか、土木と関係ない業種を選ぶか、東京の企業に進むか、いずれかの道を選ばざるを得ませんでした。

そんな中で今の会社と出会えて、選んだ決め手はなんでしょう?

就職説明会で女性の技術者がいたんです。金沢に本社があり、産休育休を取得しながら仕事を続けている女性がいることを知って、ここしかないと思いました。

入社して1年目は、データ入力や図面修正など、上司のサポートがメインでしたが、2年目からは少しずつお客様とやりとりしながら責任ある仕事をさせてもらえるようになりました。

サポートがメインだった入社1年目

現在は具体的にどのような仕事をしているのですか?

主に地盤構造物の設計に関する仕事をしています。

例えば、道路を作るとなると、土を持ってくるか、山を切り開くかのどちらかになります。場合によっては10メートル以上の高さの土を盛って、壊れないようにする方法を考えるわけです。道路って、地震が来ても大きな被害が起こらないように、見えない下の部分にさまざまな細工がされているんですよ。

地盤は場所によって全然違っていて、同じものはひとつもありません。地盤も違うし、上に作る建造物も毎回違います。どうやったら最適なものができるか、解析して、計画を進めます。

インフラの仕事は、行政がお客さんです。つまり税金で土木構造物は作られているので、コスト感覚も重要になります。最初は右も左も分からず上司の指示のもと資料づくりをしていましたが、今では担当責任者として仕事を任せてもらえるようになりました。ストーリーを考えながら、楽しみながらやっています。

ただ、近年は異常気象からの災害発生件数が増えているので、突発的な仕事も発生します。大雨で道路が陥没したり、堤防が決壊したりした場合、設計がないと直すことができないので、急ピッチで仕事を進めなければなりません。忙しい業界なのは確かですね。

女性であることの壁を突破していきたい

多忙な毎日ですね。そんな中で仕事をしていて特にうれしいことを教えてください。

地域への貢献性が高いことですね。自分が関わった事業が形になって、社会の役に立っていくことがうれしいです。

公共インフラというのは、建設コンサルタントが主に企画、調査、設計までを行い、その後の施工工事はゼネコンが担当します。設計が終わってから構造物としてできあがるまでに、5~10年の長い期間がかかるロングスパンの仕事です。

長期に渡って事業に関わることができるので、やりがいを感じます。

仕事を続けていて、壁にぶつかったことはありませんでしたか?

女性であることが壁に感じることは正直多々あります。

構造物設計の分野には女性がほとんどいません。コンサル側だけではなく、建設業界全体として女性の技術者が少ないんです。完全に男の社会です。

建設業界の人と接する際、「女性で大丈夫なの?」という反応を返されることが何度もありました。どれだけいい仕事をしようとしても、女性であることが不利な気がして悔しかったですね。
少しずつ資格を取ることで、そういう反応も減ってはきましたが(笑)。

土木の分野では女性が珍しい存在なんですね。

入社当初は、私の配属された部署に女性が入ったのは久しぶりだったらしく、どう扱ってよいのか分からない存在だったようです。おかげで入社1年目は甘やかされて、残業を一切せずに帰っていました。

2年目からは、今の上司の元で働くようになったのですが、1年目の時とは違いバリバリ仕事をするようになりました。いい意味で女性扱いをしない上司です。技術者としても人としても尊敬できる上司の下で仕事ができているので、学べることが多くて楽しいです。

けんせつフェア北陸で会社のPRをしました

尊敬できる人がいるから、頑張れる

尊敬できる人が近くにいるって素敵ですね。

直属の上司もそうですし、周りのたくさんの方たちに支えられて、ここまで来ることができました。社内には女性の管理職もいます。仕事内容は違いますが、女性ならではの悩みに相談に乗ってもらっています。

「さくら会」というものが3年前くらいに社内にできました。所属に関係なく女性社員たちで集まって、ご飯を食べに行ったり、ヨガやボーリングで体を動かしてリフレッシュしたりする会です。会社の中で、女性同士コミュニケーションを取れる場があるというのは安心できますね。私が入社したころと比べても、女性の働きやすい職場環境が整ってきていることを実感しています。

今後のキャリアプランについてはどう考えていますか?

今現在、技術職で専門性が高い仕事をさせてもらっています。結婚や出産をしても仕事を継続することはできるでしょう。でもキャリアアップしたいと考えたときには難しくなるのが現状です。なので、少しでも身軽なうちに、揺るぎない実力を身につけたい。

目標としては技術士の資格を取りたいと考えています。建設部門の技術士資格を持っていると、建設コンサルタントとして非常に有利ですから。仕事と資格勉強の両立は大変ですが、会社での勉強会に参加したり、上司に教えてもらったり、論文を添削してもらったりしながら頑張っている最中です。

そして資格が取れたら、結婚をして子どもを持ちたい。家庭を持ったら時間を捻出するのが難しくなりそうなので、この1年は資格取得にすべてを注ぎ込もうと思います。
早く結婚したいので、早く資格を取らないと!(笑)

頑張ってください(笑)!仕事と勉強でフル回転ですが、プライベートの時間はありますか?

旅行が好きで、毎年1~2回は1週間くらい有休を取って、大学時代の友達と海外に遊びに出かけています。去年はカンボジア、その前はニューカレドニアに行きました。シンガポール、フィリピン、ベトナム、タイなどにも行ってます。

美しすぎたニューカレドニアのビーチ

会社も上司も有休を快く受け入れてくれるので、ありがたいですね。仕事で辛いときもありますが、世界の広さを感じて、気持ちをリフレッシュできると、また頑張れます。

いろんな国に行っていますね。フットワークが軽い!(笑)

フットワークの軽さゆえに、とんだハプニングもありまして。

3年前の年末に、海外で年越しすべく友達とベトナムを訪れました。滞在中いつも肌身離さず携帯していたパスポートを、あろうことか紛失してしまいまして。なくしたことに気づいたのが12月30日。1月1日の便で帰国する予定だったのに、私一人だけ帰れない事態になりました。

この後でパスポートをなくすことになるとは知らず…ベトナムの路地にて

ベトナム語分からない、日本に帰れない、パスポートない、友達いない、知り合いいない、絶体絶命の状況です。年末なので国の機関も全部クローズしています。パスポートを取り扱う日本大使館に電話しても、4日が仕事始めとのこと。その大使館も北部のハノイか南部のホーチミンまで行かなくてはならない。私がいるのは中央部のダナンなのに!

とりあえずスマホ翻訳を駆使してホテルの連泊を予約しました。ダナンに日本人が経営するバーがあったので、そこに助けを求めたところ、現地の日本人の方たちが集まってくれて、私の相談に乗ってくれました。そして日本語とベトナム語ができる人を紹介してくれたんです。

年が明けて4日にひとりでハノイへ向かいました。移動はスマホ翻訳でなんとか乗り切りました。やっとの思いで日本大使館にたどり着き、仮パスポートをゲット。でも次はビザが必要です。ビザ取得にはベトナム政府に行かなければなりません。ダナンでお世話になった方がここでも尽力してくれて、本来1週間かかるビザを即日発行してもらいました。そのおかげで無事に日本に帰ってくることができました。

彼らの助けがなければ、今どこで何をしていたか分かりません(笑)!心の底から人のあたたかさを感じた出来事でした。それ以降、街で困っている人がいたら必ず助けよう、と心に決めています。

理系女子の強みを活かしていこう

ものすごいトラブル突破力ですね(笑)!勇気の出る話を聞かせてもらいました。最悪の状況から道を切り開いた川森さんから若い世代へのメッセージをお願いします。

理系女子へエールを送らせてください。

理系の技術者って、常に成長を求められる大変な仕事です。新しいものや情報にも敏感でなければなりません。でも技術者だからこそ、やりがいのある仕事ができ、キャリアアップも図れます。将来、育児や介護で仕事から離れても、資格さえあれば復職にも有利です。

理系女子の強みを活かしながら、自分がどうなりたいかという目標を持って、一緒に頑張っていきましょう。

最近は多様な働き方も可能になってきています。各分野の女性の数も増えていて、味方になってくれる人も必ずいるので、ぜひ専門分野を生かせるところを見つけてください。私も頑張ります。

1日のスケジュール

7:45 起床
8:30 出社
12:00 昼食
20:00 退社
20:30 夕食、お風呂など
22:00 資格勉強
0:00 就寝

My History

22歳 金沢大学 理工学域環境デザイン学類 地盤工学研究室 卒業
22歳 ㈱日本海コンサルタント 入社
25歳 コンクリート技士 取得
26歳 地質調査技士 取得
28歳 リーダー就任
29歳 現在

2020年1月取材
インタビュアー 長谷川由香(子育て向上委員会)