vol.18 西尾 知亜紀(北陸放送株式会社)

西尾 知亜紀/1988年生まれ 小松市出身/北陸放送株式会社 アナウンサー

地域の情報を私たちに届けてくれるテレビ局。日々、視聴者の「知りたい」という思いに適切に応えてくれる必要不可欠な存在です。今回は北陸放送でアナウンサーとして活躍している西尾さんに、今の仕事に至った道のりや、さまざまな挑戦について伺いました。

自分の意見をはっきり言える女性が憧れだった

アナウンサーとして活躍されている西尾さん。昔から人前に出るのが得意だったんですか?

いえ、まったくそんなことはなくて引っ込み思案な性格でした。中学のころは運動ができる子や元気のいい子がクラスの中心になりますよね。私は教室の隅っこにいるタイプです。同級生の女子たちがジャニーズにはまる中、私が夢中になっていたものはアニメで、当時は今ほどアニメが市民権を得ていなかったので、大きな声で言える趣味でもありませんでした。昔の同級生が今の私の仕事を見たら驚くでしょうね。

それは意外です!

でも引っ込み思案のままでいいと納得していたわけではなく、自分を変えたいという願いがずっとありました。小学校時代から憧れていたのが、芯を持って自分の意見をはっきり言う女性です。当時の私にはないものでしたから。それを体現しているように映ったのがニュースキャスターです。番組のメインキャスターとして自分の意見をしっかり伝えている姿を見て「私もあんな風になりたい。アナウンサーになりたい」と強く思うようになりました。

ただ、小松で暮らしていたら、どんな方法でアナウンサーになれるのか全く分かりません。でも分からないなりに調べていたところ、ある事実に気が付いたんです。それは青山学院大学の出身のアナウンサーが多いということ。中でも文学部英米文学科卒がダントツでした。有名な女性アナウンサーをたくさん排出している大学、学部に飛び込めば何かヒントやチャンスを得られるかもしれないと考え、ここに進学しようと心に決めました。

BSフジの学生キャスターに抜擢

アナウンサーになるという明確な目標があって、大学と学部を選んだんですね。

はい。懸命に受験勉強をした結果、無事に青学の英米文学科に合格することができました。1年目で東京での生活に慣れ、2年生になってからは大学の授業と並行して毎週末アナウンススクールに通い始めました。スクールにはいくつかコースがあり、発音の基礎から実践まで教えてもらいます。その後ご縁があって、BSフジの学生キャスター3名のひとりとして選んで頂き、ニュースと天気予報を担当することになったんです。

東京という場所でチャンスをつかんでいく姿勢がすばらしいです!学生キャスターって具体的にどんなことをするんですか?

週に1度フジテレビでニュースと天気予報を読む、というのが私に与えられた仕事でした。朝の4時半にタクシーがアパートまで迎えに来て、お台場に向かいます。局でメイクしてもらい、6時台、7時台、8時台と3回のニュースと天気予報を担当します。8時台の放送が終わったら、そこから直接大学の授業に向かいました。自分の声が生放送で流れるという経験はすごく大きかったですね。

学生キャスターは半年ごとに入れ替わるんですが、同期の3名で励まし合い切磋琢磨しながらアナウンススキルを磨くことができました。現場もアットホームな雰囲気で、みなさんが親切に教えてくれたのでありがたかったです。とはいえ、当時は原稿と格闘する日々で、間違えずに読むことで精いっぱい。テレビの向こう側にいる視聴者の方たちのことまで想像する余裕はありませんでした。

能登半島地震を東京で知り、報道への思いが新たに

当時を振り返って、特に印象的なエピソードはありますか?

放送中のエピソードではないのですが、2007年に能登半島地震が起きたのが私にとって非常に大きな出来事でした。朝起きたら「石川県で最大震度6強」とニュースが放送されているのを見たときの衝撃。家族や友人ともすぐに連絡が取れず、テレビで伝えられる現地リポーターからの情報がすべてでした。能登半島地震を遠く離れた東京で経験したことで、必要な情報を必要な人にしっかり伝えることの重要性を痛感しました。報道の世界で人の役に立ちたいという思いが新たになりました。

故郷で発生した地震報道の衝撃は本当に大きかったと思います。それにしても学業とキャスターの仕事を両立させて、本当に立派な大学生ですね。

いやいや、趣味やバイトにもずいぶん打ち込みましたよ。特に力を入れていたのがバンド活動です。友達の誘いでバンドサークルを見に行ったら、すごくカッコよくて。刺激を受けた仲のいい女子5人で「私たちもバンドやろう」と。ちなみに5人全員未経験者です(笑)。誰が何を担当するか話し合いで決めていく中、意見がはっきりしてる子から「はい!私ボーカル!」「私はギター!」と好きなポジションを取っていって、あまったのがベースでした(笑)。まぁ、どの楽器になっても未経験なので、ベース担当に決まったときも「はい、ベースね。分かったよ」という感じでしたが。

2009年バンドサークルライブ

まったくの初心者がベースを弾けるようになるまでには時間もかかりますよね?

慣れるまでが大変かもしれないです。ギターでもFコードで挫折する人が多いですもんね。私は一度はまると熱中するタイプなので、気が付いたら6時間練習していたこともありました。バンドのメンバーがいたおかげで頑張れたという面もあります。ベースに初めて触れた日から3か月後にはライブステージに立つ予定がすでに入っていましたから。他のメンバーの足を引っ張るわけにはいかないので必死で練習しました。練習のかいもあって上達し、バンドとしては3か月に1回のペースでライブ演奏していました。

実はベースと今の仕事が繋がっていると感じることがあるんです。ベースという楽器は演奏の基礎の部分を担当します。ドラムと合わせながらリズムを取り、その上にギターやボーカルを乗せていきます。これを今の仕事に例えると、ニュースを読むときはニュースが主役、ゲストの方がいらっしゃったときはゲストが主役、私の役割は伝わる環境を整えることなんですよね。これってベースを作ることじゃないかと。

リーマンショック下の就活は全国面接行脚

なるほど、面白いです!ベースが今の仕事と繋がっているなんて(笑)。お聞きしていてすごく充実した大学生活だと感じます。

大学3年の半ばからは就職活動一色でした。アナウンサーを目指す学生は場所を限定せず全国の局を片っ端から受けるという人が多いです。全国面接行脚ですね(笑)。私もその一人でした。ただ、そうは言ってもお金もかかるので、ざっくりと範囲を決めます。北海道は無理だなとか、九州は諦めようとか。最北端で青森、南は広島や高知まで受けに行きました。夜行バスで行って、夜行バスで帰ってくるんです。交通費捻出のために、塾講師をしたり、割烹料理店、電気店などでもバイトもしたりしました。今考えるとよく時間と体力があったなと思いますが、若さですね(笑)。

就職活動の年はリーマンショックと重なりました。採用状況が一気に冷え込んでいく中、アナウンサーと並行して一般企業も受けていました。コンサルやアパレル、記者職、全部で70社くらいは受けたでしょうか。

そんな中で北陸放送の就職試験を突破したんですね。

全国各地の局で試験を受けて、どこに行っても志望の動機を聞かれます。実を言うと、縁もゆかりもない土地の局で志望動機を語るのは難しいんですよね。無理があるというか、自分の中に嘘っぽい部分があるというか。その点、自信を持って答えられたのが地元石川の局でした。石川県出身者として、地元の報道に携わりたいという気持ちをしっかり伝えることができたんだと思います。願いが叶って、希望のアナウンサー職で北陸放送に入社することができました。

ラジオ番組を通して構成力や表現力が鍛えられた

おめでとうございます!入社して最初はどんなお仕事をされたんですか?

2010年の4月入社なんですけど、レオスタが始まったのも同じ年の3月末でした。入社3日前からお天気キャスターとしてカメラの前に。最初はやっぱり緊張しましたね。午前と午後を間違えて後で怒られたこともあります。数字や時間は絶対に間違えてはいけないものですから。

テレビと並行して、ラジオの仕事も担当させてもらいました。ラジオカーに乗って県内各地に出向き、自分で構成して、10分間話をするというものです。中継先に着き、担当の方にお会いして、コミュニケーションを取り、伝えるべきことをまとめ、分かりやすい言葉で伝える、この一連の作業を何度も重ねたことで、アナウンサーとしてずいぶん鍛えられたと思います。

ラジオは映像がないので、色やにおい、風の強さ、自分が感じることをひとつひとつ言葉にして分かりやすく伝えることが求められます。10分間の中で構成を練り、どうしたら聴いている人に楽しんでもらえるかということを常に考え続けました。

ラジオカーで県内各地へ

生放送って、ちょっとしたミスも起こると思うんですけど、そういうときはどうやってメンタルを保っていますか?

実は結構気にする方なんです(笑)。一晩寝たら忘れるというタイプではありません。お風呂に入っているとき、その日のことをぼんやりと思い出して「うああ…」と勝手に声が出ていることがあるらしく。「ママ―!何か言ったー?」とお風呂の外から子どもに声をかけられて、ああ知らないうちに声が出てたのか…と我に返ったりしてます(笑)。全然メンタル強くないです。

大変なお仕事だと思います(笑)。今は何をご担当されているんですか?

『レオスタ』で木曜と金曜の天気キャスターを担当し、ラジオ番組『おいね★どいね』で木曜と金曜のパーソナリティを務めています。アニメの紹介やアニメソングをお届けする『あにまにあ』というラジオ番組も持っています。アニメ好きが高じて始めた番組で、現在全国11局12県ネットで放送しています。『あにまにあ』ではリスナーの方たちからおすすめのアニメを教えてもらうことも多く、帰宅して家事をしながら、仕事を兼ねてそのアニメを見たりしています。半年前には新たに『にしおん~西尾音楽室~』というラジオ音楽番組も始めました。

溢れるアニメ愛です

夫婦間で価値観のすり合わせと話し合いを重ねてきた

多忙な仕事を続けながら、結婚と出産もされているんですよね。

夫は大学時代の同級生です。学生時代は友達のひとりとして付き合ってきましたが、縁あって結婚することになりました。交際期間を経て「さあ結婚」となったとき、彼から「いつまで仕事したいの?」と聞かれたんですね。いつまでって、私が仕事を辞める前提で話を振ってくるなんてちょっと待て、と。当時彼は全国転勤のある仕事をしていました。転勤で北陸に勤務していた時期もあります。でも次にどこへ転勤になるかは分かりません。一方、私にとっては必死でつかみ取った今の仕事。簡単に手放すわけにはいきません。二人で話し合いを重ねる中、「私は石川でこの仕事を続けていきたい」と伝えました。

夫のお母さんは専業主婦、私の両親は共働きフルタイムで、お互い育ってきた環境や価値観も違います。だからこそお互いの気持ちをすり合わせて、双方が納得できる形を模索しました。夫は私の思いを理解してくれ、石川で転勤のない仕事を探し、家も建て、2人でここでやっていくことに決めました。子どもは5歳と2歳の2人です。育休を取りながらここまで来ました。

育休中の生活はいかがでしたか?

もともと子どもが好きだったので、乳児期の1年は近くで成長を見たいと思い、1年間の育休希望を出しました。育休前は「のんびり過ごせるかな」と想像していたのですが、子どもとの毎日は1日があっという間。起きて、おむつを替えて、洗濯して、離乳食を作って、食べさせて…気がついたら「あれ、もう夕方?」という感じですね。支援センターにもよく出かけました。結構忙しかったですね。

2人目の育休時はコロナ禍だったので、少し辛いものがありました。自由に外に出られず、家の中だけで過ごし、話す相手は夫だけ。子育てって仕事と違ってスケジュール通りに進まないことも多いですよね。掃除も思うようにできません。部屋が散らかっていても、帰宅した夫が何か言う前に「今日はこんなに大変だった。部屋が汚くても仕方ないんだからね。ああもう腰が痛い!」と先制攻撃していました(笑)。

子育ては夫婦の協力と周囲のサポートで

部屋なんて汚くても大丈夫ですよ!子育てはそれ以外に大変なことがたくさんありますもんね。

仕事復帰後は保育園に預かってもらっていますが、保育園に通い出すと風邪などで体調を崩すことも増えるんですよね。夫婦2人で乗り切るしかないので、市内のいくつかの病児保育室に登録をしておいて、熱が出たときのために準備しました。園から発熱の連絡が来たら、日によって迎えに行ける方が対応。私に生放送のスケジュールが入っているときは夫が、私が行けるときは私が。夫婦で協力しながら乗り越えました。

去年の春に2人目の育休から復帰しましたが、同じタイミングで親が退職して、サポートを得られるようになったので、ずいぶん楽になりました。職場も生放送以外の時間であれば融通をきかせてくれるのでありがたいです。

今のお仕事をしていて嬉しいことを教えてください。

北陸放送の地域貢献事業として、子どもたちに絵本に親しんでもらおうと、アナウンサーが読み聞かせに出向いているんですが、先日私の子どもたちが通う保育園で、私が絵本の読み聞かせをする機会に恵まれました。「ママってこういう仕事をしているんだ!」という喜びが子どもから伝わってきて、とても嬉しかったです。最近では「ママ、今日テレビ出てたね!」と言ってくれるようになりました。

取材した方や中継先の方に喜んでもらえたり、その人の魅力を伝えられて反応がもらえたりするときも何より嬉しいですね。フィードバックの言葉をもらえることが、大きな喜びと原動力になっています。本当にこの仕事が大好きで、つまらないと思うことがないんですよ。

保育園での絵本読み聞かせ事業

仕事をしている上で心がけていることはなんでしょうか?

よく考えて話すようにしています。生放送では限られた秒数の中で自分の思いを伝える必要があります。そのときにどんな言葉を選んだらより的確に伝えることができるか。新聞を毎日読み、本を読み、語彙を増やすようにしています。他のアナウンサーの喋りを聞いて学ぶことも多いです。

後で悔いが残らないよう、やりたい仕事は全部やる

今後のキャリアプランはどのようにお考えですか?

一般的にアナウンサーという職業は、契約社員として働いているケースが実は多いんです。何年か経つと契約が切れて辞めざるを得なかったり、フリーになったり、キャリアの先は人によってさまざまです。

私の場合は総合職として採用されました。つまり、異動次第でアナウンサーと関係ない部署に行く可能性があります。入社して11年、運よくアナウンサーとして継続できていますが、今後も同じ立場でいられる保証はどこにもありません。

だからこそ、アナウンサーでいられるうちは、日々悔いのないよう自分がやりたい仕事を全部やっていこうと思っています。例えば昨年10月から始まった『にしおん~西尾音楽室~』というラジオ番組。私自身がライブやフェスが大好きなので、自ら企画書を書いて、提案して、実現できた番組です。やりたい仕事は自分で作っていきたいです。

言われたことをするだけではなく、ご自身で切り開いていくパワーがすごいです。

本当にいつどうなるか分からないですから。今この立場でいられるうちは悔いなくやろうという一心です。いくら忙しくても大変でも、やれるうちはやります。もちろん自分の中でバランスは保ちつつ。いつか「番組から外れてください」と言われたときに「分かりました」と悔いなく言えるように。異動になったときに心残りがあるのは絶対に嫌なんです(笑)

新しいことを学び続けたい―保育士資格取得―

そんな忙しい中で保育士資格も取得されたとか?

新しいことを学ぶのが好きなんです。育休から戻ったときに、出産前よりも少しでも成長していたくて。1人目の育休中は、コーヒーが好きだったのでコーヒーソムリエの資格を取りました。ただ、私の生活の中では、いまいち使いどころがなかったんです。2人目の育休のときには、子育てに活かせるものにしようと考えました。

たどり着いたのが保育士資格です。難しいものに挑戦するなら、これが最後のチャンスだろうと。勉強を始めてみたら、子育てに役立つ知識がたくさんありました。子どもの事故や誤飲、現代の社会福祉、ひとり親のこと、子どもに関する法律、栄養学、歴史、児童養護施設の現状なども。学んでいるうちに、世の中について深く考えるようになりました。勉強は通信教育を利用して、自分でスケジュールを立てながらこなしました。

育休中に新たな分野を勉強とは。ただただ尊敬です。学びも多かったと思います。

保育士試験には、筆記だけではなく実技もあり、「音楽」「造形」「言語」の中から、2つを選択して受験しなければなりません。私は「音楽」と「言語」を選びました。ピアノはエレクトーンを買って地道に練習。「言語」では3歳児に3分間お話をすることを想定した素話をするのですが、これはアナウンサー経験が活きました。

実際に試験を受けて印象的だったのが、保育士試験は決して若い人だけのものじゃないということ。50代や60代の方々、男性の姿もありました。多様な方たちが受験していることに、大いに刺激を受けました。無事合格することができ、ほっとしています。

すべては自分がやりたくてやっていること

素晴らしいです!それにしても息抜きできる時間ってありますか?

仕事が終わって帰宅したら、完全に母親業ですね。寝かしつけをしながらそのまま寝てしまうことも多いです。そこから目覚めることができた日は、夫婦ともにお互い好きなことをしています。2人とも趣味が多いので。

私の両親は、父も母も小学校の教員でした。父はスキーが趣味で、全日本スキー連盟の指導員だったこともあり、冬の休日は必ずスキー場に行っていました。夏はテニスに切り替わり、休日はほぼ一緒にいた記憶は無いほどです(笑)。母は書道と読書が趣味で、書初めの際は指導してもらい、また毎日のように本を読んでいました。両親がそれぞれ仕事を持ちながらも好きなことをやっているのを見ていたので、結婚しても子どもがいても、好きなことをするのは100%アリだと思っています。

子育て世代に優しい音楽フェスもあるし、金沢で開催されているミリオンロックフェスには託児があります。アニメも子どもと一緒に楽しんでいるし、たまには子どもを預けて夫婦2人で映画に出かけたりもしています。

楽しいお話の数々、本当にありがとうございました。最後に若い世代へのメッセージをお願いします。

初めて妊娠出産したとき、「良いお母さんにならなければ」と思っていました。でも「良いお母さん」ってあいまいな表現なんですよね。私にとってはフルタイムで働きながら好きなことを続けていた母の姿がとてもカッコよく、まさしく「良いお母さん」でした。誰もが、つかみどころのない「良い母親」という言葉に縛られることなく、息抜きをしながら、好きなことをして、気楽に楽しめたらいいなと思います。子どもに愛情を持って接している限り、料理を手抜きしようが掃除をさぼろうが、別にいいじゃないかと。

あと、すべてにおいて「してあげている」と思わないように気を付けています。「子どものために我慢している」「夫にやってあげている」という感情は、相手にとって重いと思うんですよね。あくまでも「自分がやりたくてやっている」というスタンスを忘れずにいたいです。

子どもが手を離れてからも人生は続くので、私自身これからの人生において「やりたくてやっている」ことを増やしていきたいです。

ラジオスタジオにて

■一日のスケジュール

7:00 起床
7:30 朝食、保育園準備
9:30 出社
日によって業務が違いますが、ラジオニュース、ナレーション、番組準備など
12:30 昼食
午後ワイドラジオ生放送、ラジオニュース、番組収録など。
16:30 レオスタ準備(木・金のみ)
19:30 終業、帰宅(木金以外は18:30)
夕飯、子供たちとお風呂、洗濯など家事
21:00 子供寝かしつけ
22:00 (起きられれば)家事の続き、アニメ、TVタイム
0:30 就寝

My History

1988.3 小松市に産まれる
6歳 ​小学校入学 漫画クラブで絵をかくのが楽しみな子供。ブラスバンドクラブに所属し、アルトホルンを演奏。
12歳 ​中学校入学 バドミントン部所属 アニメ大好きで、キャラに恋をする
15歳 ​小松高校入学 ソフトテニス部所属
18歳 ​青山学院大学入学 バンドサークルでベース、フジテレビのアナウンススクールに通う。
19歳 BSフジ学生キャスター(半年間)
22歳 ​北陸放送入社
28歳 ​第1子出産
32歳 ​第2子出産

2022年1月取材
インタビュアー 長谷川由香(子育て向上委員会)