vol.12 髙田理香(株式会社エイム)

髙田理香/1987年生まれ 金沢市出身/株式会社エイム フィットネスクラブ エイムスカイシップ支店長

健康で豊かな生活を送りたいと願う人々にとって、なくてはならない存在となっているフィットネスクラブ。若い世代から高齢者まで多くの利用者が集まる施設において、20代のころから店長や施設長として仕事をしてきた髙田さんにお話を伺います。

身長が高かったことからバレー部へ

スポーツクラブにお勤めしているだけあって、とてもシャープな印象です。

ずっとバレーを続けていたせいかもしれませんね(笑)。中学に入学したころ、既に身長が168センチありました。身長が高いと、部活は大抵バスケットボールかバレーボールの2択になります。私はバスケがしたかったんですけど、当時バスケ部の先輩方に怖そうな人が多く、仕方なく消去法で選んだのがバレー部です。

中学のバレー部では、特に良い成績を残したわけではありません。でも、背が高かったおかげで、3年生のときに金沢龍谷高校(当時の尾山台高校)から部活動推薦の声がかかりました。せっかくオファーをいただいたので、推薦で進学することに決めました。

部活動推薦で入学したので、高校での3年間は、まさにバレーボール一色。指導がとても厳しい部活で、ひたすらバレーに明け暮れる毎日でした。

幼少期に志賀町の海で弟と

中学高校とずっとバレーに打ち込んでいたんですね。

はい。バレーをしているうちに高校3年生になりました。特にこれといった進路の希望もなく、「高校を卒業したらどうしようかな」と考えていたときに、学校の先生から金沢学院短期大学へのバレーボール推薦枠を勧められました。「今からどこかを一般受験するための準備をするのも大変そうだし、バレーボールで短大に進学できるなら」と、高校受験時に続き、推薦で進路を決めました。そう思うと、高校、短大とバレーのおかげで進学でき、バレーとともに歩んできた学生時代でしたね。

好きじゃないとそこまで続けられないと思います。

それが、実は短大のときに初めてバレーボールという競技を楽しく思えたんです。それまでは言われたことをやっていただけですね。短大では、監督が私たちの自主性に任せてくれたので、練習やゲームを作り上げていくのが本当に面白かったです。バレーボール三昧だったので、短大にはほとんどジャージで通っていました。バレー部のみんなで集まって、バレーをして、一緒に学食を食べる、そんな毎日です(笑)。

ちなみに、短大ではデザイン学科スペース&インテリア科で学んでいました。2年制なので、本格的に資格を習得するものではなく、パースを読めるようになることやインテリアコーディネーターになる知識を付けることが卒業時までのゴールです。期限を過ぎてから課題を出すなどして、あまり良い学生じゃなかったですね(笑)。

牛丼屋さんや焼き肉屋さんでアルバイトもしていました。狂牛病の問題が発生して、豚丼しか出せなかった時期です。お客さんからのクレームを受けました。中には明らかに理不尽なものもありました。アルバイトを通して、社会というものを少し学べたかもしれません。

人生初の海外で香港へ

就職活動での面接が、初めて経験したまともな試験

あっという間に就職の時期もやってくると思います。

バレーばかりしていて、気が付いたら就職の時期がやってきていました。周囲の学生たちは2年生の春から就職活動を始めていたようですが、私は何の準備もしていないまま夏休みも終わってしまい(笑)。さすがに「いい加減どこか受けなさい!」と学生課に怒られました。せっかくスポーツをしてきたんだから、という理由で大学からエイムとスポーツメーカー営業所を紹介され、試験を受け、最終的にエイムに入社することになったという形です。

それまでの私は、高校に入るときも短大に入るときも推薦で決まって、普通の受験をした経験がなかったんです。エイムでの面接が初めて経験するまともな試験でした。それまで楽な道ばかり歩んできたので、少し緊張しましたね。

楽な道ではなく、バレーに対する努力が導いてきた道ですね。就職したエイムではどのような仕事についたのですか?

就職試験の面接でフロント希望を伝えたこともあり、まずフロントに配属されました。

最初の勤務先は野々市本店です。フロント業務では、あいさつの仕方、電話の取り方、宛名の書き方など基本的なことを学びました。根が体育会系なので、電話での返事が「ハイッと威勢がよくなってしまい、そのたびに先輩から「やけくそで電話を取らないで」と注意を受けました(笑)。

入社当初は、総務部管轄のフロント業務と指導部管轄のインストラクター業務はきっちり分かれていました。それが、「プールの監視員が足りないから」とヘルプが来て、プールの監視に立つようになり、「レッスンのインストラクターをお願いしたい」と言われて、レッスンも担当するようになりました。それまでは社内で前例がなかったんですけど、3年目からは部の管轄を超えてフロントと指導の両方をするようになりました。

インストラクターとして人前に立つ緊張感

パイオニアですね。ただフロントと指導の両方をこなすというのは、かなり大変だと思いますが。

何より大変だったのが、レッスン講師の資格を取るまでのトレーニングです。営業時間を終えて誰もいなくなったスタジオを使って、先輩から講師になるためのレッスンを受けました。

ある程度形になって社内でOKが出ると、試験を受けに東京の会場へ行きます。ライセンスをもらえなければスタジオで指導することはできません。「今までうちから受けに行って落ちたやつはいない」と先輩からプレッシャーをかけられるので必死です。

試験会場には、インストラクターになりたくて仕方ない人ばかりがたくさんいて気合がすごいんです。私の場合は、インストラクターになりたいという熱い思いがない分、会社からのプレッシャーがある意味ありがたかったですね。試験には無事合格することができ、ホッとしました。

晴れてプログラムのインストラクターとして人前に立てるようになったわけですね。

ボディパンプのクラスを担当しました。ボディパンプとは、おもりを持って音楽に合わせてスクワットや体を動かすというプログラムです。担当する前に先輩から「インストラクターが持つのは発泡スチロールだよ」と言われ、その嘘をまんまと信じていまして。実際に担当してみたら、男性が持つものと同じ重さのおもりを持たなくちゃいけないんです。左右トータルで10キロ。なかなかのしんどさでした。

今はamberというEMSパーソナルのトレーナーもしています。

クラスでは、人前に立つことに慣れるまでが何より大変でした。すごく緊張するんです。最初のころは、先輩がお客さんの側に立って動いてくれるので、その先輩を見ながらどうにかこなしていました。受講者のみなさんは自分の親世代が多く、レッスン歴が長い方ばかり。一方の私は年も若くて新人。徐々に慣れていくしかないと自分に言い聞かせながら、3か月ごとに新しくなる曲と動きを懸命に覚えました。次第に、終わった後で「楽しかったよ」「ありがとう」と声をかけてもらうことが増え、自分の中でも楽しく感じられるようになりました。

辛くても仕事を辞めなかったのは人とのつながりがあったから

仕事をしていて「やってしまった」と感じたことなどはありますか?

たくさんありすぎて、思い出せないくらいですよ(笑)!

たとえば、入社して間もないころ、フロント業務についていたときに、男女のロッカーが変わっていたことに気づかず、お客様を通してしまったことがあり、派手にお叱りを受けました。インストラクターをしていて、レッスンの最中に動きを忘れてしまったこともあります。

やらかしたときは多少落ち込みますけどね。でも済んでしまったことはしょうがないので、すぐに気持ちを切り替えていました。

「やめたい」と思ったことはないですか?

もちろんありますよ(笑)!

入社したての時の支店長が厳しい方だったんです。リーマンショックで経済全体の動きが悪くなっているころで、社内の経費が削られ、カラーコピーや付箋など細かい部分にまで指導が入る状況でした。入社して間もないけれど、続けるのは無理かなぁと思いました。予算や成績などの数字が重くのしかかっていたことが今なら理解できるんですけどね。

そこでやめなかった理由は?

気にかけてくれる会員さんや先輩がいたことが大きいです。人のつながりの大切さを感じました。

実は、同じタイミングで7~8人が「やめたい」と申し出たんです。そしたら支店長が「自分のやり方が悪かった。もう1度チャンスをください。必ず改善します。時間をください」とスタッフの私たちにお願いをしに来られて、これはすごいと思いました。その方はもう辞められましたけど、今でもお付き合いがあります。

お付き合いの中で仕事の相談などもしたりするんですか?

仕事のことはまったく相談しません。同業者に相談したところで、業界の常識の中でしか話せないので。結局、愚痴になるだけで答えは出ないし、建設的な方向に行かないんですよ。むしろ異業種の人と話していた方が、冷静かつ前向きな意見が聞けて参考になりますね。

なるほど、確かにそれは一理ありそうです。その後はどのようなキャリアをたどったのですか?

新卒で野々市本店に配属されて3年ほど勤務し、フロントもインストラクターの仕事も分かったころに松任に異動。松任に約2年いて、その後、内灘の町営プールをエイムが指定管理者として運営することになり、その立ち上げに関わりました。

内灘の町営プールの立ち上げでは、備品を揃えたり、アルバイトの面接をしたりと、事業の立ち上げにサポート役として携わることができてとても楽しかったです。

その次は、加賀のいきいきランドに店長として着任しました。25歳のときで、初めての店長というポジション。予算の作り方も知らない。業者さんとの折衝も知らない。役所との関わり方も分からない。たくさんの人にアドバイスをもらいながら、なんとか1年終わって、2年目はそれを思い出しながらこなし、3年目にようやくやりたいことが少しだけできたという感じでした。結局3年半を加賀で過ごしました。

たくさんの現場を経験して、周りを頼ることの大切さを学ぶ

25歳でお店全体を仕切るのは大変だったと思います。そしてまた異動ですね。

はい。その後に今いるスカイシップの副支店長として着任し、約10カ月で今度は名古屋に異動になりました。名古屋に女性専門のホットヨガのお店を作るという業務です。1年ほど名古屋にいましたが、このときも「もう辞めよう」と強く思いました。

女性用ホットヨガスタジオを始める、ということが決まっていただけで、お店ができていない状態で集客をしなければならない。見学もできないのに、どうやってスタジオに通いたい人を集めたらいいのか。目標数値と実績との乖離は日に日に広がり、何をしたらいいのか、誰を信用したらいいのかまったく分からなくなりました。

会社としても「とにかく何かをやらなくては」と迷いが生じていた時期だと思います。現場にいる人間として限界を感じ、「私にはこれ以上無理です」と率直に伝え、内灘の施設の店長として石川県に戻ることになりました。

仕事を続けていれば、気持ちの波は必ずありますよね。異動が多いことについてはどう捉えていますか?

内灘で店長をした後、昨年末から現在のポジションであるスカイシップの支店長をしています。異動は確かに多いですね。でも、私自身は異動には賛成のスタンスです。長く同じ店にいると、その店のルールしか分からなくなってしまうので。

たくさんの現場を経験して実感したのは、管理職がすべてをやらなくていいということ。最初のころは、自分が現場に出て、すべてをこなさなければいけないと思っていました。問題が起こったらすぐに自分が行かなければと。でもそうではなく、周りを頼っていいんだと気づきました。頼ることで周りが責任をもって動いてくれることを学んだので、今はいろいろなことを任せています。

「あのポジションおいしい」と思ってもらえたら本望

現在は支店長としてどのような仕事をしているのですか?

一言で言うと『エイムスカイシップとして全体のベクトルを合わせる仕事』ですね。何かを決める際に、「個人的にはいいけれどエイムとしてはどうなのか」と、常に会社としての方向付けを行うという業務です。

会社が決めた理念や予算をベースに目標を作って「こっちこっち」と引っ張っていく役割でもあります。スタッフの考えが及ばないときに、どうやって道を指し示すかは重要になります。

スタッフの多くは20代~30代前半で、学生のアルバイトも多い職場です。私の年齢が若いので舐められることもあります。「こんなねーちゃんが支店長?」と(笑)。でも、その分エネルギーがありますから。みんなで一緒に遠くまで行けるように、広げるときとすぼめるときをコントロールしながらやっていきたいですね。

とてもかっこいい言葉です。

いやいや、実際のところは何もしてないんですよ(笑)。

スタッフの気持ちが先走って暴走しているなと思ったら止めに入る。元気ないなと思ったら活力を入れる。厄介ごとが発生したら表に出る。そんな感じです。自分が表に出てぐいぐいやるというより、もっぱら後ろの方でゆったりと構えています。

スタッフからは「早くあんなふうになりたい」と思ってほしいですね。私は、いつも楽そうにしていますし(笑)。「あのポジションめっちゃおいしいやん」って思ってもらえたら本望です。

「企業に活かせ女性力」セミナーでの成果発表

まさしく新しい時代の管理職の姿です。楽しそうだと思われなければ後続は生まれませんから。

楽しそうに見えていたら嬉しいですね。私は独身なので、生活を含めて自由にできているという部分もあると思います。自分で購入した家に住み、自分のペースで動けるのが何よりのメリットです。もし、結婚して子どもがいたら、育児など家庭生活の比重が大きくなりますもんね。もちろんそれがダメでは決してありません。

私は今のところ結婚にも子どもにも興味がないんです。今後も今のスタイルを維持していきたい。興味や物事の優先順位は人によって違うので、自分にとって最善の選択ができればいいと思っています。

人生の流れを読んで、逆らわず、きれいな流れにしたい

今の仕事をしていて嬉しいことを教えてください。

最近の話ですが、コロナウィルスによる営業自粛期間があって、再開の際にお客さんから「ここがあってよかった」、「なくなったらどうしようかと思った。ありがとう」などの言葉をもらえたのが本当にうれしかったです。再び営業ができてよかったと心から思いました。「誰々のレッスンがすごく楽しかった」など、スタッフが褒められるのも幸せですね。

スタッフに関しては、彼らが自発的に新たなチャレンジをする姿がうれしいです。「こういう企画をやってみたい
と自ら申し出てくれる学生アルバイトもいます。社員であろうとアルバイトであろうと、ここで働いたことが人生の中でかけがえのない経験になってくれたらいいなと思います。

今後のキャリアプランについてはどのように考えていますか?

正直何も考えてないですね(笑)。でも、もし希望が叶うなら、企業内起業で新たな事業を立ち上げてみたいです。自分が「いいな」と思うことをビジネスとして成り立たせてみたい。そのビジネスを子会社化できるかどうかは置いといて、一社長として仕事と向き合うことができれば、見える景色が変わるのではないかと。なんだか夢がふくらみますね。

人生って自分の望む通りには行かないので、流れに逆らおうとは思いません。ただ、流れを読んで、きれいな流れにしたい。可能な範囲で流れをコントロールしたいです。その結果として、明るく楽しそうな場所にたどりつけたらいいなと思っています。

焦らなくていいし、余計な苦労もしなくていい

とても素敵な考え方です。プライベートではどのように過ごしていますか?

私は、先の予定を入れると、たとえ遊びでもだんだん億劫になるタイプで(笑)。週内ならまだ気持ちが楽かな。なので、休みはなるべく予定を入れないようにして、だらだら過ごしています。お酒を飲んだり、まんがを読んだり、料理を作ったり、長風呂をしたり。

ハワイのピルボックスの海に向かってジャンプ

気が向いたら、志賀町に住んでいる祖母の家に行きます。去年は祖母と一緒に梅酒を漬けました。畑で土を触ったりするのも気分転換になりますね。顔を見るたびに結婚しろと言われるのが難ですが(笑)。

最後に若い女性たちへのメッセージをお願いします。

「やりたいことを見つけろ」みたいな社会の圧はありますけど、やりたいことがなくても焦らなくていいと思います。何をしていいのか分からない人、実は結構多いのではないでしょうか。

今は転職も副業も当たり前ですし、「この道じゃないとダメ」「この業界じゃないとダメ」というものもありません。気負うことなく、何かきっかけがある方へ進んでいったらいいと思います。若いうちからそんなにしんどい思いをしなくてもいいです。年齢を重ねてから苦労話することほどつまらないものはないので。どうか余計な苦労はしないでください。

もしも、運よく目標とする人が見つかったときには、その人がアウトプットしているものよりもインプットが何かを知る努力をしたらいいと思います。その人がどんなものを食べてきたのかを知ることで、理想に近づきやすいという考え方です。これは私が受けたセミナーで講師の方がおっしゃっていた言葉で参考にしているものです。

焦らず楽しみながらが一番ですね。

■一日のスケジュール

6:30~7:00 起床(いつもシャキッと起きられなくて30分くらいグダグダする)
8:30~ 出社
駐車場清掃(ゴミ拾い)
メールチェック、返信
9:15~ 朝礼
9:30~ オープン
10:00~ 業者打ち合わせ、社内打ち合わせ、資料作成など
14:00~ 休憩
15:00~ 経理書類チェック、提出書類の確認
※その他、随時電話応対、フロントフォローなど
18:00 帰宅準備(明日のスケジュール確認等)
19:30~ 自宅着
20:00~ 入浴(長い)
21:00~ お酒を飲む、軽く食事(遅い)
22:00~ 猫と遊んだり漫画読んだりダラダラタイム
23:00~ 就寝

My History

20歳 株式会社エイムに入社
25歳 いきいきランドかが・エイムBS 店長着任
29歳 内灘温水プールDUNE 店長として着任
33歳 エイムスカイシップ 支店長として着任

2020年8月取材
インタビュアー 長谷川由香(子育て向上委員会)