vol.11 田中夏生(株式会社アバンタージュ・NPO法人Trellis)

田中夏生/1970年生まれ 津幡町出身/株式会社アバンタージュ 代表取締役社長・NPO法人Trellis 代表理事

金沢、津幡、野々市で英会話教室を展開している(株)アバンタージュの田中夏生さん。

外国人スタッフに実践的な研修を行うことを目的に、数年前にはベトナムでNGOも立ち上げ、ますます活躍の場所を広げています。英語や海外と関わるようになったきっかけ、これまでのキャリアパス、今後の夢についてお話を伺いました。

スペインの建築物に心を奪われる

海外との関係がとても深いようですが、どんな子ども時代を過ごしていましたか?

今の自分からは想像つかないんですけど、幼いころは園生活で一言も話さないような子どもだったらしいです。そのころの記憶は私もほとんどないんですが(笑)。

中学時代はバドミントン部に所属していました。私が通っていたころの中学校は不良やヤンキーがいて、その反動で竹刀を持った体育の先生が中心となり生徒を管理するために髪やスカート丈の長さなどあらゆる規則で縛ろうとしていた時代です。そんな中、バドミントン部の顧問だった大西先生は生徒の自主性を尊重してくれる人でした。今振り返ってみても人生で一番好きな先生です。その先生のもとで、バドミントンにひたすら打ち込んだ中学時代でした。

高校は泉丘高校に進学しました。自由な校風の中でのびのび過ごせた3年間です。高校でも部活は一応女子バドミントン部。でも強かった男子バドミントン部にコートを貸してあげて、自分たちは遊んだりして。本当に自由でしたね(笑)。あとは先輩のバンドを追いかけて、VANVANへライブを見に行ったりしていました。

自由な高校時代の中で何か海外につながるきっかけがあったんですか?

家の中でスペインとの出会いがありました。母が持っていた写真集に、細江英公氏の『ガウディの宇宙』というものがあって、その中の写真に一目で心を奪われたんです。世界にはこんなにすごい建築があるんだと。非常に強い衝撃を受けまして、「ここに行くしかない!」という気持ちが一気に高まりました。その思いだけで高校卒業後の進路を定め、神戸市外国語大学のスペイン語学科を目指すことにしました。

情熱的なスペインに勝るとも劣らない情熱です(笑)

ただ残念ながら強い情熱は実ることなく、結果は不合格でした。代わりに進学することになったのが、第二志望で受かった横浜国立大学の教育学部です。教育学部といっても、横国が提供していたのは教員免許取得を任意とする「ゼロ免課程」。教員になるための実務的な内容ではなく、教養として多様な知識を学ぶというカリキュラムでした。フランス映画の専門家がいて映画を観ることが宿題だったり、落語に詳しいアメリカ文学の先生がいたり(笑)。欧米文化、西洋美術、西洋史など、非常に興味深い授業をたくさん受けることができました。

なるほど、教養が深まりそうな授業です。大学時代は勉強一色ですか?

いろいろなバイトをしてましたね。時代がバブル景気に沸いていたので、仕事は選び放題でした。

馬が好きだったこともあり、土日はJRAのコールセンターでバイトをしていました。時給1800円で、1日4時間働くとボーナスが出るんです。コールセンターではミスは致命的になります。やり手の女性リーダーがいたので怒られないように必死に仕事をしました。ここで鍛えられた事務能力が今でも生きています。

そのほかにも家庭教師をしたり、企業の福利厚生施設として運営されているバーで働いたり。バブルのころで時給が高かったので、あっという間にお金が貯まったことを覚えています。

大学時代のバイト仲間と

就職よりも留学してみたら?とアドバイスしてくれた父

大学生活も後半になると、そろそろ就職のことも考える時期です。

父親が面白い人で、「就職なんて、なんでそんなつまんないことするの?」と当時の私に言ってきたんです。父は建設関係の自営業者。ゼネコンの下請けとして、さまざまなバックグラウンドの人と仕事をしていたこともあり、考え方が柔軟で、心から尊敬できる父でした。その父が「留学でもしてみたら?」と言うので、「じゃあとりあえず」と出かけた先が米国ボストンです。ひと月ほどですが短期語学研修で刺激を受けて帰ってきました。

就職活動は一切していないので、大学卒業後は金沢に戻り、とりあえず石川県庁でアルバイトです。焦りはまったくありませんでした。ボストンに行ったことで海外への関心が強くなったので、語学を勉強しにカナダへ行くことにしました。大学や短大に付属している語学学校などでコース受講をして、ライティングやスピーキングを学びました。

やはり現地に行くと英語の上達は早いですよね。

そうですね。せっかく身に着けた英語なので、語学留学後は金沢に帰ってきて大手英会話教室で働き始めました。ところが募集要項に書かれていた就業条件が、実際に働いてみるとちょっと違うぞと。英会話の先生として雇われて働きながら、将来の自分のキャリアについて悩む日が続きました。

自分がしたいことを真剣に考えたときに、このような生活を続けていても先が見えないと思い、今度はワーキングホリデーでカナダへ行くことにしました。カナダの夏は、旅行会社やレストランでのバイトがたくさん見つかるんです。韓国レストランでは長く働きました。でも働いているうちに、だんだんと学ぶことに興味が湧いてきたんですね。そこで、英語教授法を学ぶべくヴィクトリア大学を受験。無事に編入を許可されたので、途中でビザを変更し、本格的な学生としてのカナダ滞在がスタートしました。大学では、教授法のほかにもフランス語を取り直したり英文学を学んだりと、なかなかハードな2年半でした。

カナダ留学時代にハロウィンパーティーで

カナダでの滞在で学べたのは英語だけではありません。カナダにはLGBTの人がいたり、国際養子縁組をして育ってきた人がいたり、大学の図書館に住むことが許されているホームレスの男性がいたり、さまざまなバックグラウンドの人がいて、誰に対しても寛容な国でした。ダイバーシティを実際に肌で感じることができたのは非常に貴重な経験になりました。

帰国し、東京での大使館勤務を経て、IT企業へ

カナダでたくさんの学びと英語教授法の学位を取得して、いよいよ帰国したわけですね。

帰国後は金沢ではなく東京で仕事を探そうと、友達と東京でアパートをシェアしながら就職活動を始めました。今度は英語を教える仕事ではなく、英語を使ってできる仕事を中心に探しました。求人を探している中で大使館の秘書もよさそうだと思い、カナダ大使館での採用状況を調べてみたところ、なんと倍率300倍。そんなときアフリカのマラウィという国の大使館秘書のポストが見つかり、応募してみたところ、無事に合格。めでたく大使館で働けることになりました。

紛争が多いアフリカですが、マラウィはJICAが青年海外協力隊を送れるくらい平和な国で、日本との関係も深いものがありました。日々の仕事内容は外務省とのやり取りが主。加えて、政治家のアフリカ関係の集まりに同行して通訳をしたりしました。

大使館での勤務時間は9時~5時できっちりしています。慣れてきたらアフターファイブは結構暇で(笑)。他にバイトでもしようかと思いつき、英語を活かせるところを探していたところ、プリンストンレビューという留学準備予備校がTOEFLの先生を募集していて、そこで週に2回働くことになりました。大使館に勤めながらのバイト生活は1年くらい続けました。

寝る暇があるんですか?とてもタフな毎日が想像できます。

ここからまた状況が変わっていくんですけど(笑)、2000年にインターネットバブルが起きて、渋谷で起業する人が増えました。渋谷は日本のシリコンバレーという感じで、たくさんのお金が集まってきた時代です。私がバイトをしていたプリンストンレビューの社長も「教育こそ安定投資」と、学習アプリを作る会社を立ち上げることにしたんです。そして「新しい会社で働かないか?」という打診を受けました。

大使館での仕事も快適だったので正直迷ったのですが、学習アプリのベンチャーの面白そうなイメージに惹かれて、転職することにしました。当時のITはまさしく時代の最先端という感じで、毎日本当に多忙でしたね。夜中まで働くこともあり、英語を教えるバイトは徐々にフェードアウトしていきました。その分、社長のアシスタントとしていろんな企業を回りました。

ディズニーと共同でネットベースの学習コンテンツを作るべく、ウォルトディズニージャパンにも営業に行きました。会社の社長とウォルトディズニージャパンの社長の仲が良くて、とんとん拍子で話も決まり、当時開発したディズニーキャラクターのi-modeでの単語学習アプリは非常に好評で、100万人以上の延べ登録者数があった人気サイトでもサービスを提供するようになりました。

この会社はサンフランシスコに本社を移転しましたが、そのときの関係は今も続いています。人脈づくりが最高にうまい会社で、私もたくさんの人たちにかわいがってもらいました。

生まれ育った金沢に戻って英会話教室をオープン

堂々たる東京でのキャリアですよね。金沢に拠点を移したきっかけは?

東京での生活はもちろん刺激的でしたが、一方で少し落ち着いて生活したいなと思ったのが、金沢に戻ることになったきっかけです。とはいえ、すっぱりと東京の会社を辞めてしまうのではなく、リモートワークで週の半分を東京、半分を金沢という生活をしばらく続けていました。

金沢では空いた時間を利用して自宅で英会話教室を始めました。でも教室をしながら行ったり来たりするのはなかなか大変で(笑)。この生活も長くは続けられないなと思うようになり、2008年には東京の仕事から完全に手を引き、金沢に拠点を定め、法人を立ち上げて、本腰を入れて教室を始めることにしました。

新しい教室って生徒さんの獲得など難しくないんでしょうか?

当時はスカイプ英会話が出始めたころで、大人への英会話指導をターゲットにしていたんです。でも近所に新築の家が建ち始めて、「子ども向けの英会話はやっていないんですか?」と聞かれることが増えました。子ども英会話の方にニーズがあることを感じて、ターゲットを子どもにシフトしていったところ、近辺に英会話教室が他になかったこともあり、倍々で生徒さんが増えていきました。

野々市や白山から通うお子さんも増えてきたので、野々市教室をオープンし、実家が津幡なので津幡教室もオープン。ノウハウができたので東京教室も開設した、という流れです。

英会話教室Lesson 4Uのスタッフと一緒に

営業や広告をせずとも口コミで生徒さんが増えていくってすごいですね。

時代の流れもあったと思います。2年前くらいまでは何もしなくても生徒さんが増えました。しかし今回の新型コロナの影響で、東京教室は閉めることにしました。これ以上事業拡大をする気持ちがないところで新型コロナが起こったので、いい機会だったと思っています。組織の規模が大きくなるにつれ、自分の想いと会社のマネージメントにずれが発生していた部分があるので。

最近は教えることを主たる目的としない自習室を新しい場所にオープンしました。生徒さんの昨年度の入試実績がすごくよかったので、自立して勉強できる人のみが使える秘密の場所です(笑)。

嬉しいのは生徒の成長、難しいのは人間関係

田中さん自身は今具体的にどのような仕事をしているんですか?

会社経営と英語を教えることですね。大学の受験英語がメインで、高校生たちのお世話をしています。小さいころから通ってくれている生徒さんたちの成長を見るのが何よりうれしいです。教室のお隣さんも親子2代に渡って通ってくれているんですよ。先日は初めて生徒の結婚式に参列してきました。親戚の子どものような感覚なのでただただ感激でした。小中学生のクラスにアルバイトとして入ってくれている大学生の半分は、この教室の卒業生です。

長い関わりの中で、彼らの成長を見るのが本当に楽しいです。

教室をしていて大変なこともあったと思います。

会社を経営すると、社会的責任、倫理的責任が発生します。そういった責任を文化の違う外国人スタッフに理解してもらうのが難しいことがあります。

私は会社代表として外国人スタッフの身元引受人になるわけで、日本の文化や風習についてもしっかり伝える必要があります。文化の違いから鬱気味になって母国に帰ってしまったスタッフもいました。仲のよかった同僚が辞めたことで続けられなくなったスタッフもいます。雇う側からしたら、人間関係を常にうまくまとめていくのは決して簡単なことではありません。

ベトナムでNGOを設立し、講師育成事業に着手

確かに人間関係の問題が一番神経を使うと思います。そんな中で新たにNGOも始めたんですよね?

はい。まず日本語と英語の語学講師を育成するNPOを4年前に日本で立ち上げました。

従来から英語教室の先生をアメリカで採用していたのですが、日本の教育システムを知らないこともあり、研修やトレーニングに多くの時間がかかっていました。そんなとき教えるのがとても上手なスタッフに巡り合いまして、スキルを得た方法を聞いてみたところ、途上国で研修を受けた経験があると。

これにヒントを得まして、インターンプログラムを途上国でやることで、先生のスキルを維持し、日本での就業を保証することができるのではないかと考えたんです。

場所を選ぶ際、治安がよくてインフラが整っているベトナムがすぐに候補に挙がってきました。ベトナムと日本とは関係が深く、かなりの数のベトナム人実習生も日本に来ています。そこでベトナムでNGOの組織を作りました。

語学研修のパートナーとなってくれた大学からは「英語だけでなく日本語研修もやってほしい」と打診を受け、日本語研修も始めました。日本語を教えられる人材は不足していて、それを補えるのは日本の大学生です。そこで日本の大学生にインターンとしてベトナムに赴く仕組みを作りました。

アイデアと行動力に敬服するしかありません。

自分ひとりの力ではなく、たくさんの方たちの協力あってのものです。金沢で技能実習生を受け入れる団体の方や企業の方などにもたくさんのお力添えがありました。

今はストリートチルドレンを収容する児童養護施設にも先生を派遣していて、子どもたちに教育を受ける機会を与えたいと取り組みを進めています。「日本で学びたい」という子もいるので、なんらかの形でサポートしていきたいと思っています。

ベトナムの子どもたちの学びへの意欲はとても強いです

すでに多くのチャレンジをされているような気がしますが(笑)、さらに今後のご自身の夢などはありますか?

最初にお話しした高校生のころに憧れていたスペインのガウディの件。40歳を過ぎたころに、「あれ、私まだバルセロナに行ったことがない」ということに気づきまして(笑)。両親を連れて初めてバルセロナを訪れてみたところ、スペインの魅力にもう感動と感激です。

で、2年後に再びスペインへ。今度は一人で(笑)。パリ、ジュネーブ、モンペリエにそれぞれ友達がいるので、現地では友達に案内をしてもらいながら、気ままに一人旅。バックパッカーのような旅行です。そして最後にバルセロナに到着。これがもう最高でした。

そのときの経験があまりにも素晴らしかったので、今の夢は、どこにいてもできるオンラインレッスンを提供すること。仕事をしながら世界中の行きたいところに行って生活をする。これが目下の夢であり目標です。

自分自身を解放して、自由な生き方を

さすがスケールが大きいです!仕事以外でプライベートではどんな過ごし方をしているんですか?

小さいころから犬が大好きで、プライベートでは犬中心の生活を送っています。東京から金沢に越してきてすぐに、盲導犬候補のゴールデンレトリバーを譲り受け、飼い始めました。

東京にいるときに『盲導犬クイールの一生』の著者である石黒謙吾さんとたまたま知り合う機会がありまして、訓練を受けた犬の中でも盲導犬になれるのは3割で、残りの7割は譲渡されるという話をお聞きしました。譲渡される際には、盲導犬候補になるくらい賢い犬だから応募が殺到するとのこと。それを聞いてダメ元で手を挙げてみたところ、そのときの飼い主さんと我が家の間取りが非常に似ていたことから、犬の譲渡を受けられることになったんです。

現在は2匹目の犬と一緒に暮らしています。1匹目と2匹目は同じレトリバーなのに性格がまったく違っていて、しつけの仕方によってこうも違いが出るのかと感心しているのですが、どちらにしても本当にかわいいですね。

犬と過ごす時間がプライベートの中心

たくさんのチャレンジを重ねてきた田中さんから、最後に若い女性たちへのメッセージをお願いします。

人って知らず知らずのうちにいろんなものに縛られて生きています。でもそれで一生を終えるのはもったいない。なので、可能な限り自分自身を解放してあげてください。正しいとか正しくないとか、常識がどうとか、凝り固まった価値観から自分を開放してあげることが大事なんじゃないかと。

「20代のうちに結婚しなくちゃ」「みんなと同じように子どもを持たなくちゃ」、これらの考えは自分で決めたものではないはず。世の中には型にはめたがる人が多いのは事実ですし、所属しているコミュニティが狭いと視野も狭くなってしまいがちです。だからこそ自分で枠を作らずに自由でいたいものです。世界は本当に広いので。

私自身もますます自由でありたいと思っています。

1日のスケジュール

7時 起床、犬の散歩など
8時 朝食をとりながらメール、メッセージの確認
10時 打ち合わせなど
14時 各教室への見回り(曜日によって金沢、津幡、野々市に見回りに行きます)
18時 夕食
19時 レッスン(22時ごろまでレッスンがあります)
22時 帰宅後
0時 映画や海外ドラマを見た後就寝

My History

22歳 横浜国立大学教育学部欧米文化学科卒業
23歳 カナダに語学留学
25歳 カナダに再度渡り、8ヶ月働いた後、ヴィクトリア大学に入学
29歳 帰国後、大使館勤務
35歳 石川県にUターンし、起業
46歳 ベトナムに語学講師インターンを派遣するNPO事業を開始

2020年5月取材
インタビュアー 長谷川由香(子育て向上委員会)