横山敦子/1979年生まれ 千葉県出身 子ども1人/株式会社LIXIL(旧INAX) 営業本部 中部営業統括部
日々の暮らしの中で、トイレやキッチン、お風呂の快適性は、生活の質のみならず人生そのものの質に関わってきます。先進的な水まわり製品と建材製品を開発、提供している株式会社LIXILで、横山さんがどのようなキャリアパスを描いてきたのか、お話を聞きました。
生まれ育ったのは千葉県の八千代市です。小学生のころから生き物に興味がありました。家では犬や猫などの動物を飼うことができなかったので、近くの山や川で魚や虫を捕まえてきて、飼育ケースに入れては観察をしていました。家のベランダでは、アゲハチョウの幼虫が蝶になったり、おたまじゃくしが蛙になったりしたこともあります(笑)。
生き物への興味が尽きないまま成長して、高校生になりました。進路を考えたときに、浮かんだのが動物のお医者さんになること。獣医になるにはどうしたらいいのだろうと調べたところ、獣医学部・獣医学科がある大学は非常に少ないことが分かりました。関東圏の国立大学では東京大学と東京農工大学の農学部に獣医学科があるくらい。狭き門ですが、東京農工大学を目指すことにしました。
獣医になることを夢見ていた高校生のころ
頑張って勉強したのですが、残念ながら不合格でした。ただ、東京農工大は、受験する際に第2志望の学科まで出すことができたんです。第1志望の獣医学科には届かなかったものの、第2志望の応用生物科学科に合格。行きたかった獣医学科のすぐそばで勉強することに悩みつつも、進学を決めました。
身近な言葉で言うとバイオサイエンス・バイオテクノロジーです。確かに「応用生物科学」という名前は堅い感じがしますね。でも私たちの生活に密着している身近な学問です。生物や植物から作り出される有用な物質の仕組みを調べて真似ることによって、環境に優しくて社会に役立つものを生産に繋げようという研究です。
化粧品や医薬品などがイメージしやすいかもしれません。身体に有用な植物の成分があったとしても、毎回植物から抽出するには時間もお金も労力もかかり現実的ではないですよね。そこで、同じような効果が得られる似たような構造の物質をいろいろなパターンで合成し、評価・検討して、生産に繋げるというわけです。
学科の研究には実験がつきものです。中には動物実験もあります。今でも忘れられないのが、入学早々行ったラットを使った解剖実験。かわいいラットを麻酔で眠らせて解剖をするのですけれど、麻酔をかけるときの苦しがっているラットを見ていていたら辛くて辛くて。必修だったので泣きながら解剖しましたが、そのとき「獣医にはそもそも向いてなかったんだ」と諦めがつきました!(笑)
簡単に単位を取らせてもらえないので、友達と協力しながら一生懸命勉強しました。でも本格的に学ぶ意識が高まったのは、3年生後半に研究室に入ってからです。研究テーマを決めて、研究への責任が生じたときから、自覚が芽生えたように思います。
大学4年生の夏に米インディアナ州で1か月半のファームステイ
私がテーマとしたのはフジツボなど海洋付着生物に対する付着阻害活性を持つ化合物の合成の研究です。フジツボは、成体になるときに強力なセメントのような物質を出して付着し、そこで一生を過ごす甲殻類の一種です。このフジツボが船底や漁網,発電所の冷却システムなどにくっついてしまうとなかなか取れないので大きな被害が生じてしまうんです。以前は有機スズ系化合物が防汚塗料として使われていましたが、環境汚染の観点から使用が規制されて以降、『環境にやさしい』付着防汚剤の開発が求められてきました。そこで着目されたのが,天然物由来の有機化合物です。海中に生息するウミウシ、カイメンなどが表面から分泌する付着阻害物質をヒントに、より有効で簡単な構造の付着阻害物質がないかを検討し、合成し、効果を評価するといった研究をおこないました。
フジツボ
当時は就職氷河期で、大学院に行くと女子は採用してもらうのがさらに難しくなるという噂もあり、4年生で就職活動を始めました。当初は食品系や製薬系を希望していたのですが、そういうところに採用してもらえるのは院卒のみだったり、ごく少数だったりしたので、早い段階で諦めました。
次に自分が興味のある分野は何かと考えたときに、頭に浮かんだのがトイレです。学校のトイレや公共トイレは暗くて汚いところが多くて、「もっときれいだったらいいのに…」と、昔から常に感じていたので。そこで、トイレのメーカーであるINAXに応募してみることにしました。
他にも何社か回ってみたのですが、INAXの採用面接は、当時としてはとても印象的でした。数人ずつでチームになり「このブロックで時間内にピラミッドを作る」などの課題を与えられ、最適なやり方をチームで話し合って実際に組み立てる。その様子やチーム内での振り返りの様子を人事担当者の方がチェックをする。普通の面接ではなく、物事の取り組み方を見てくれるような採用試験だったので、うまくはまって合格することができました。
入社と同時に、生まれ育った関東を離れて、INAX本社のあった愛知県常滑市に移り住みました。
最初の配属先は基礎研究所というところです。INAXは住宅設備機器、トイレやキッチン・お風呂などを作っていますが、同時にこれらの商品からは生ごみや屎尿などの有機性廃棄物も出てしまいます。そこで「廃棄物がゼロになるような、循環する仕組みを考える」というのが、入社したばかりの私に与えられたテーマでした。
「仕組みを考える」と言われても、正直何をしたらいいのか分かりません。悩んでいた私に当時の先輩からかけられたのが、「言われたことをするだけならアルバイトでもできる。仕事は自分で作るもの、自分で生み出すものだよ」という言葉です。自ら考えて仕事を生み出すという課題に、入社早々ぶつかりました。
先輩の仕事の見よう見まねで、有機性廃棄物である屎尿を活用する研究を始めました。いきなり人の屎尿を扱うことはできないので、畜産農家さんから牛糞をもらってきて、水耕栽培に水溶液を利用したり、培地としてキノコを栽培してみたりと、そのようなことをやっていました。
同期や先輩が、行き詰ったときに相談に乗ってくれたので、職場環境としては恵まれていたのですが、何より辛かったのは、自分のやっていることが何も会社の利益になっていないという現実です。
一緒に入社した同期は、「この商品開発に携わった」「この研究が商品化に繋がった」など目に見える成果を出している中で、私は何の利益も生み出していない。ただキノコを作ってるだけ。基礎研究という分野は成果がすぐには出ないものとは理解しつつも、後ろめたい気持ちになってしまう日々でした。
入社して4年程研究所にいて、その後お客さま相談センターへ1年間の出向になりました。お客さまの声を研究所にフィードバックするという、研究所としての新たな取り組みで、私はその1期生でした。
文字通り、商品の問い合わせや故障、困りごと、クレームに、電話で受け答えするというものです。入社以来、植物やキノコとだけ関わっていたので、そこで初めて自社商品について深く学びました。ときには大変な仕事内容ではありましたが、ここでの経験が今にも繋がっています。商品知識はもちろん、困っている相手に分かりやすく伝える方法、相手に受け入れてもらいやすいような話し方、逆に怒らせてしまう話し方など、仕事をしていく上で大切なことを、失敗を重ね、試行錯誤しながら、実践で学びました。
話を聞く前から、「男の人に代わって」と、言われたことも一度や二度ではありません。職場で泣いたことはありませんでしたが、車の中で泣きながら帰ったことは多々あります。一方で、お客さまの思いに寄り添えたときには、お礼の電話や手紙をわざわざ送ってもらったこともあり、そのときの達成感は、今までに味わったことのないものでした。
お客さま相談センターでは、電話を切ればその日の仕事は終わりです。次の日までモヤモヤを引きずっていてもしょうがない。気持ちの切り替えは上手くなったと思います。
それが、組織改編もあり、以前より興味があった『商品を使った時の快適性を測る』ことを研究テーマにしている部署に配属になりました。例えば、冬場のお風呂の床ってヒヤッとしますよね。このヒヤッとする感覚、やはり身体にとっては負担なんです。どれくらいの負担で、どんなお風呂の床素材だったら、身体への負荷が少なくなるかを、血圧、心拍数、血流量、脳波などの生体反応を測りながら、医学部の先生と共同で研究しました。調査対象年齢も子どもから高齢者まで。将来の商品化に繋げるための研究や、商品の機能・効果を成体反応で測る研究内容でした。
当時は仕事が主で、私生活は完全に後回しです。平日は家事らしい家事はしてないですね。一人暮らしのころは、帰り道にお惣菜を買って、帰宅後は冷凍ご飯をチンして、食べて寝るだけ(笑)。
入社8年目に、同じ会社の違う部署の人と結婚しました。ただ、夫になった人は、実家がある北陸に戻らなければならないとのこと。そして希望通りに富山に本社がある会社に転職しました。ところが転職先の会社に命じられた勤務地は長野県。私はINAXという会社が好きだったので、できればこのままこの会社で働きたいと思い、長野県に異動できないか会社に相談しました。ちょうどショールームに空きがあるとのことで、夫婦で長野に引っ越すことができました。
新しい職場となったショールームは土日勤務で平日休みでした。夫との休みがまったく合わなくなり、新婚早々すれ違いのような生活が始まりました。最初のうちはどこまで相手に期待したらよいのかもお互いに分からず、ケンカばかりのギスギスした毎日(笑)。
このままではいけないと、ときどき土日に有休をもらって、一緒に過ごす時間を増やすようにしました。そしたら少しずつうまくいくようになりましたね。夫はバックカントリーが趣味だったので、一緒に山に登って、スキーで降りてきたり。バックカントリーって体力勝負で命がけで正直大変なんですけど(笑)。一緒に時間を過ごして、コミュニケーションを取ることって大事なんだと実感しました。
とても楽しかったです。研究所やお客さま相談センターでは、お客さまと面と向かって接することがありませんでしたが、ショールームでは自分の接客・提案に、良くも悪くもお客さまが目の前で反応してくれます。それがとても励みになりました。お客さま相談センターでの知識や伝え方なども生かしながら、「次はこうしてみよう」「こういう伝え方に変えてみよう」と試行錯誤する毎日がとても新鮮で楽しかったです。
営業経験のない私をショールームに異動させてくれた会社に感謝です。さらに8年後、夫が富山の本社に戻れることになったので、北陸エリアへの異動が叶いました。会社や異動を受け入れてくれた上司には感謝しかありません。以来こちらで勤務しています。あちこち転々としてきましたが、子どもが生まれたこともあり、私の中では北陸が最後の場所になりそうです。
出産の際は、1年間の育休を取得しました。里帰り出産で、実家にいるときはよかったのですが、戻ってきてからが大変すぎて、育休時代の記憶はほとんどありません(笑)。
高齢出産だったので、まず体力面で大変でした。家の中だけで過ごすと気が滅入るので、子育て支援センターや乳児サークル、親子のイベントなど、外に出る口実を作って、とにかく外に出かけていました。用事が何もないときはイオンです(笑)。外に出て誰かと話す時間が必要でした。
以前の夫は21時過ぎの帰宅が当たり前でしたが、子どもが生まれてからは19時くらいには帰ってきて、お風呂に入れてくれます。夫とは子育ての役割分担ができていて、とても助かっています。
朝は、私が子どもにご飯を食べさせているときに、夫は支度をする。私が支度をするときには、夫が子どもの着替えなどを担当する、という連携プレーです。子どもを保育園に連れて行くのも夫の担当です。分担量は私の方が多いですが、お互い納得してきちんと分担できているので、今のところ満足しています。
ただ、職場復帰に伴って、子どもを保育園に預けるときには、すごく悩みました。1歳っていろいろなことに反応してくれるようになる時期じゃないですか。こんな時期に預けてもいいのだろうか、かわいそうなんじゃないか、そんな不安を感じました。罪悪感と言ってもいいかもしれません。
悩みながらの職場復帰でしたが、育休明けの今の方が心に余裕を持って子どもと接することができています。振り返ってみれば、24時間子どもと一緒に過ごすってかなり大変でした。仕事で半日子どもと離れることで、家に帰ったときには精一杯向き合うことができます。仕事の時間と家事育児の時間の両方を持つことで、精神的にゆとりが生まれました。
ありがたいことに、会社はフレックス制度や時間有休、テレワークなど、新たな働き方を取り入れくれていて、上司もとても理解のある方たちなので、職場環境に恵まれていると思います。
今は営業職ですが、スタッフの半分が女性ということもあり、子どもが熱を出したときや保育園の参観日など、休みやすい風土にもなっています。女性に限らず、男性も学校行事などで休みやすいと思います。
学校や保育園、公共施設・宿泊施設などの水回り商品の提案を、設計事務所に向けておこなっています。
長野にいたころのショールーム時代は、住宅の水周りがメインでしたが、今は公共施設等の提案が主です。
もともとINAXを志望したきっかけが、「公共トイレ・学校のトイレをきれいにしたい」という思いからです。トイレの素材や仕組みを変えることで、きれいが保てるような、そんなトイレを作りたいと思っていました。入社から17年経ち、アプローチの仕方は違いますが、「学校トイレ・公共トイレをきれいにしたい」という志望動機が偶然にも叶い始めたようにも感じています。
また、金沢市が3カ年計画でおこなっている『快適なトイレ空間創造事業』にも参加させてもらっています。金沢にある公共のトイレを「おもてなしのトイレ」と位置づけて、トイレの改修・整備の助言や、トイレマナー向上の啓発もおこなうというものです。
その取り組みの一環で、金沢市内の小学校へ出前授業も行いました。トイレの歴史、アフリカなど海外のトイレ事情、トイレマナーなど、クイズを交えて紹介すると、子どもたちから、「これからトイレをした後は次の人が気持ちよく使えるように、キレイにします。学校だけじゃなく、出かけたところや家でもやろうと思いました」「日本のようなきれいなトイレを使えることは幸せなことだと分かったので、きれいが続くように大切に使います」などの感想をもらえて、本当に嬉しかったです。
金沢市内小学校での出前授業
かつて、自分がマネージャーとして10人程の女性スタッフをまとめる立場にいたことがあります。うまくチームが回っているときはいいのですが、うまくいかなくなったときに10名それぞれの主張や不満をどう取り扱ったらよいか分からず、悩みました。
そこで試したのが、不満を我慢するのではなく、一度外に出してみるということ。全員で集まって、困りごとや不満・要望を付箋に書き出してみました。「新しいボールペンがほしい」というものから「早く帰りたい」というものまで、とことん『膿み出し』をしました。
困りごとが出揃ったらジャンル分けをして一覧にします。そして「これはすぐに解決できる」「これは所長に相談」「これは他部署に相談」など、具体的な解決法を示し、実行しました。困りごとの膿み出しと、解決したことの可視化。これらを月イチの頻度でおこなって、情報を共有するようにしました。
うまくいくときもあれば、うまくいかないときもあるんですけどね。でも、日々のこまめなコミュニケーションは大切だなと思います。意見を吸い上げるだけでなく、「改善できるようにこんな風に頑張ってるよ」と経過も伝えることで、信頼にも繋がります。また、相手のちょっとした変化に気付くという意味でも、コミュニケーションの重要性を実感しました。
学校や保育園など、公共施設・宿泊施設などの提案をするようになってまだ間もないので、まずは知識と経験を積んでいきたいです。
夢は街中に誰もが使いやすいトイレ、居心地の良いトイレをたくさん作ること。快適なトイレがどんどん増えていったらいいなぁと思います。
最近では地震や水害などの災害も各地で発生しています。学校のトイレが被災時の避難所として使われることも考えられますので、子どもたちだけではなく、地域の人にも使いやすいようなトイレの提案をしていきたいです。
トイレ環境の改善は、会社の課題であり、自分自身の課題
今はまだ仕事と育児と毎日の生活で精一杯で(笑)。子どもが生まれる前は、ホットヨガに通っていたので、子育てがもう少し落ち着いたら再開したいですね。
あと、せっかく北陸に住んでいるので、加賀や能登の方に足を伸ばしてみたいです。北陸の魅力を探しに行きたいです!
自分のやりたいことがすぐ見つかる人は少ないと思います。見つかったとしても、やりたいことがそのまま職業になる人も少ないと思います。でも、やりたいことがすぐ見つからなかったとしても、やりたいことが職業にそのまま直結しなかったとしても、学生時代に学んだことやさまざまな仕事に一生懸命取り組んだ経験は、いろいろな形でプラスに影響してきます。私自身も、そのときは遠回りに感じても、無駄になることはなかったように感じます。
例えば、『お風呂を作る』というときには、浴室や浴槽の材料、設計、機械、デザイン、マーケティングなど、あらゆる専門分野が関わってきます。
自分の興味や経験がどんな分野でどんな形で役に立つかは分かりません。仕事を考えるときには、こだわりすぎずに、さまざまな分野の方にアドバイスをもらったり、広い視点で捉えたりするとよいことがたくさんあります。ぜひいろいろな経験をしてください。どんなことも決して無駄にはなりませんから。
5:30 | 起床 子どもの朝ごはんの準備 |
6:20 | 子どもの朝食 その間に保育園の準備・連絡帳記入など |
6:40 | 夫が子どもの着替えなどの支度を担当している間に自分の支度 |
7:00 | 出勤(夫が子どもを保育園へ) |
8:20 | 出社 |
16:00 | 退社 |
17:30 | 保育園のお迎え |
18:00 | 帰宅 子どもの夕食準備 |
18:30 | 子どもと一緒に夕食 |
19:30 | 子どもと夫が入浴 その間に夫の夕食準備・明日の準備 |
21:00 | 子どもと一緒に就寝 (夫が洗濯) |
23歳 | 東京農工大学 農学部 応用生物科学科 卒業 |
23歳 | 株式会社INAX (現LIXIL) 基礎研究所 バイオ研究室 入社 |
30歳 | 結婚 ショールームへ異動 |
37歳 | 夫の転勤で北陸に異動 |
38歳 | 第1子出産 |
40歳 | 現在 |
2019年12月取材
インタビュアー 長谷川由香(子育て向上委員会)